やはりそこに、行くことになっていたのだろうか(リヨン)
ひとつの物事があると、すぐに類似する何かを呼び起こし、それを頭の中の紐で結んで次々と引っ張り上げるのは得意技なのだが、村上龍氏の『MISSING』(新潮社 2020)を読み始め、主人公の50代の男性がそのような性質を持ち合わせているので、今回もわたしの中で予め繋がっていたのであろうそれを引っ張りあげて、この文章を書き始める。
この主人公ほど意識が錯乱する感覚や、不思議な光景が見えたりすることはわたしにはないが(これからどのように物語が展開するのかわからないけれど)、何かをしているときに、ふと、別の時間や別の場所にいたときの感覚が甦ることはよくあることだ。
例えば仕事をしているとき、ふと前に旅行したことのある場所の空気を感じ、あの時は楽しかったなぁ、などと自分をほっこりさせながら作業を続けていることがある。何となく、それは通り過ぎてしまった過去というよりも、心の中に撮りためてストックしてあり、必要なときにいつでも再生できるVideoのようなものだ。そういう意味において、わたしはいつでもそこに行くことができるし、ここにあるようであってここにはないというふうな言い方か、もしくはすべての場所にいる、と言うこともできるかもしれない。(もちろん、現在進行中の実体験型の ‘今’ の中で、わたしは仕事に集中しなればならないのだけれど。)
ところで、例えばどこかに行くというのは、本当に全部自分で決められていることなのだろうか。それは人生において、すべてが思い通りに行くことはない、ということもそうだけれど(これはとてもわかりやすい)、もっと単純に旅の目的地みたいなものとかは、真っ白なキャンバスを前に、最後に完成するものを想像して描き始めても違う絵になったり、ジャクソン・ポロックの抽象画のように、作者が作品の一部となり絵の具を垂らす過程が完成に辿り着き(村上春樹の小説も似ている気がする)、それを目的地とするものだろうか。
どこかに行こうとするとき、確かに意識的に何かを求めて移動しようとするのが発端かもしれない。
ただし、そこに無意識的なものがないとは言い切れないのではないだろうか。
フランス(パリ)に旅行に行こうと決めていた頃、家で掃除機をかけているときに、ふと「リヨン」という地名が浮かんできた。「リヨン」というのは聞いたことがあるから浮かんでくるのだろうが、何故浮かんでくるんだろうなぁ、その頃同じ名前の喫茶店に行ったわけでもなく(例えば名古屋の老舗とか)、何かの情報番組でリヨンの町の特集を見たわけでもない。そのとき浮かんできた頭の中の疑問は、「リヨンってフランスな気がするけど、そうだっけ。」というものだ。それで携帯で調べてみると、リヨンはフランスだった。それでわたしは何だか知らないが嬉しくなってしまい、リヨンに行くことにした。
リヨンにはパリからTGVの高速列車で向かった。
7月だったので車窓からは、一面ひまわりの花で覆いつくされた場所があり、それを通り過ぎると日本ではあまり見たことのない白い牛たちがぽつり、ぽつりと草を食んでいて、その横に樽の形をした干し草を巻き取ったものが、オブジェのように置かれていたりした。後ろの席では、夏休み中のフランスの女の子たちが絶えず楽しそうに会話をしており、電車を降りるときによろよろと後退してわたしの足を踏んだマダムは、振り替えってから「オーパルドン!」と、すごく申し訳なさそうに言った。
パリではほとんど視線を感じなかったが、リヨンではアジア系の女が一人で歩いているのが珍しいのか(しかも土地に馴れていなそうな)、何となく視線を感じるような感覚があった。フランス語が全然喋れないくせに人に平気で道を尋ねるという、元々持っているのか若さ故のふてぶてしさなのか知らないが、そういうところがあったので、通りすがりの人に尋ねると皆わりかし熱心に説明してくれ(しかもそのほとんど全部をわたしは理解していない。最初はフランス語で話かけているので結構罪深い。)、指さしてくれる人もいるのでそちらに進めば多分大丈夫だろうと思って歩いていくと(言葉がわからない分、人を観察できるものだろうか)、大体方向は当たっていたので目的地には着いた。
前夜、TGVに乗るまでの電車の乗り継ぎが不安だったこともあり、遠足前の小学生のように興奮して、あまりよく眠れていなかった。リヨンのホテルに到着したとたん、喉が乾いていたので冷蔵庫にあったハイネケンを飲み、日差しもキツかったので何だか気だるく、そのまましばらく寝てしまったような気がするのだけれど、それはそれで贅沢だ。
リヨンの町の中心にはソーヌ川とローヌ川という2本の川が流れており、よく晴れた空にたっぷりとした水が、反射したように青色に煌めき、夏の暑さの中で喉の乾きを潤してくれそうな美しい錯覚さえ、わたしに覚えさせた。川沿いには何組ものカップルが座りこんで話せそうな広いスペースがあったり、レストランではワンピースを着た女性が、水辺で昼間からお酒を飲んだりしていそうで楽しそうだ。
リヨンにはフルヴィエールの丘もあり、中世の町並みといわれるオレンジ色の屋根をした佇まいの家々が、町中に幾つも並んでいるのを見渡すことができる。風が丘の上に立つ木の葉を揺らし、頬を通りすぎてゆき、何とも気持ちが良い。この丘には19世紀に建てられた、白が印象的で装飾的な印象を持ったノートルダム・ド・フルヴィエール寺院がある。わたしはここの教会と、丘の麓付近にある12世紀に建立されたサン・ジャン大司教教会に入った。
何故かわからないけれども、二つの教会に入ったときの感動は比ではない。どうしてか分からないけれども、パリのノートルダムに入ったときとも違う。サン・ジャン大司教教会に入ったとき、音楽が流れていて(お気に入りのジャスティン・ティンバレークではなくてもちろん教会向きの)、その音楽と共に教会の空気に包まれたとたん、身体の細胞が思い出したように一つ一つ甦る感覚があり、祝福されている!と心の中で叫んでいるのが聞こえた。少し目に涙が滲むくらいだ。
リヨンには、カマスのすり身を固めてソースをかけた「クネル」という名物料理があるので、レストランでそれを食べた。横長の外のテーブルで料理を待っていると、となりの席に眼鏡をかけた50代くらいの男性が座り、わたしに話しかけた。彼は英語は上手くないのだけど、と断り(シンプルでゆっくりだったのでわたしは助かった)、自分がシチリアの出身で(店のウェイターさんもシチリア出身だったらしく、途中イタリア語で盛り上がっていた)どこからか忘れてしまったが、バイクで移動してきていること(彼が指差すところに黒のバイクが立て掛けてあった)、それから大学に勤めているので生徒がいる、と言っていた。
話はリヨンの教会のことになり、丘の上のと下のを見たけれど、(彼の率直な意見として)上の教会はデコーレートしすぎで好きじゃない。下の方がいいね、という意見を述べた。わたしがゆっくり食事をしたので、後から注文した彼の方が先に去って行ったが、旅の記念に撮った写真が今も残っている。
リヨン、というのはライオンから来ているのかわからないのだが、リヨンのシンボルマークはライオンのようなもの(獅子)だ。わたしはリヨンに行って、そのマークのついた旗がパタパタとはためいているのを見るまで知らなかったが、フランス旅行の為に買ったトリコロールの線が入ったシューズに、同じくそのブランドのマークである獅子のようなものがついていることに、このとき思いあたった。あとで調べるとそのブランドは、イギリスのブランドなのだけれど。
わたしは思い出す度にリヨンを訪れているようだけれど、やはりそこに、行くことになっていたのだろうか。