結局のところ、世界は繋がっているのだから(アメリカの人種差別や貧困問題から)

アメリカでは、警官が黒人の男性を死亡させた事件が人種差別への抗議のデモになった。(他にも色々な要素を含んでいそうだけれども。)
国の中での長い歴史を伴うこの問題は、誰かが差別をすることで不当な扱いや不利な状況に置かれる誰かがあってはならないという、理屈的にはとてもシンプルなものだが(それだけで世界が廻っているのならもう天国であってもおかしくないわけだが)、人間には様々な欲や感情(恐怖)があるが故、とても難しそうだ。

個人的な経験でいうと、日本にいるという状況がある意味特殊なのかもしれないが、わたしが肌の色や出身によって差別されたり、差別されている人を直接目撃したりする状況は無かったように思う。(気がついていないだかけかもしれないが。)ただし、日本にもそういう差別が存在することは存じあげているし(あくまでもわたしの分かる範囲では)、差別されてきた人も知っており、また、ニュースやドキュメンタリー番組でも取り上げられている。
‘人種’というのが何なのか、肌の色や出身だけで(極端な場合は)誰かを毛嫌いするという意識はよく分からない。肌の色は何であれ、どういう教育を受けるかやどういう環境で育つかで自分のアイデンティティーや考え方が培われるものだと思うのだが(しかも予め備わっている個人の資質はそれぞれ違うし、同じ国内でも一人ひとりの育つ環境は厳密には異なっているわけだから)、逆に肌の色や出身だけで差別するという意識はどのように生まれるのか、心理的な側面からいうと大本は、個人の劣等感からくるのだろうと、ここでもう一度確認するのも悪くない。(自身では気がついていない場合もあるのだろうか。)
とても正直な意見として、習近平国家首席とトランプ大統領は、わたしの中では似たような‘人種’なのだが。

ところでアメリカの問題でわたしが考えてしまうのは、歴史的な経緯も関連して、貧困に陥ってしまうことだ。(貧困の連鎖については、日本も他人事ではないと思うのだけれど。)

今のところは、自分自身がそれまでのものを経験したことがなかったとしても、誰かが自身の経験を話しているのを聴いたり、自分がそのような状況に置かれたらどのように感じるかや、困難に直面するかを想像することはできる。(世界からのニュースでどのような状況に置かれた人々がいるかを知ることもできるし、例えばNetflixの番組で、歌手Beyonceの夫でラッパーでありプロデューサーのジェイ・Zが、青少年時代ドラッグのディーラーをしながらたえずラップを書いて生活していたことを語っていたりもする。彼は学習の意欲があっても親の援助が難しい子供たちに奨学金を提供したり、裁判もなく不当に逮捕された者たちのサポートをしようとしている。この文章の中心をほぼ書き終えたところで、番組の内容を正確には忘れていると思い見直したところ、彼のインタビューは本当に示唆に富んでいる。わたしが忘れていた大半の部分から、このちっぽけな文章に対してもそうだったので、わたしは驚きと感動を覚えてしまう。
邦題『デヴィッド・レターマン:今日のゲストは大スター』Radical Media & Worldwide Pants,Inc 2018年配信。 ジェイ・Zのインタビューはシーズン1の第4回。第1回は第44代アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマ氏。)

個人の生活はすべて、本人の努力‘のみ’に懸かっているというのは、地球全体を呑み込む宇宙船よりもはるかに大きな間違いだ。科学的に栄養の価値が証明されているというのなら、食事も儘ならない子供が学習に熱が入らないのは本人の責任でないことや、通信にお金をかけられず生きるために有利な情報が手に入らなければ、必要な措置を講じ難いのも想像できる。(親がそのような情報を手に入れられる状態になければ、子供はそこに辿りつくのにも時間がかかる。)
簡単な料理をしながらニュースを聞いていて、貧困について考え始め、ふと浮かんできた人物がいる。
GoogleのCEOスンダー・ピチャイ氏だ。彼はインドの出身で、父は電気技師をしていたそうだが決して裕福な家庭で育ったとは言えず、父親がこつこつ貯めた資金で渡米できたのだそうだ。(図書館で借りた雑誌Forbes JAPAN おそらく2020年の2月号?で読んだのかもしれない。取り寄せているので来たら見てみよう。)ピチャイ氏はその卓逸した才能と情熱によってGoogleのウェブブラウザChromeやGoogle Mapsなどの立ち上げに深く関わっている。今では当たり前のように使っているそれらのものがなければ、わたしが色んな意味で迷子になりやすくなるのはおそらく事実だ。
記事には貧困を解消するために彼が取り組んでいることの記載もあったはずだが、もし彼の父親が貧困からくる生き辛さからドラッグやアルコール中毒で彼の意欲を妨げ、貯金など全く無かったとしたら(実際はそんなことなかったわけだが)、ピチャイ氏は今のスピードで、それらの物事に取り組めるような地位に着いていただろうか?と問わずにはいられない。
これは決してその国の問題だけではなく、世界に関わる問題だ。意欲があっても学習の機会が与えられないことに比べれば大したことではないが、日本にいるわたしは確実に迷子になりやすくなる。

もしもわたしが将来、突然難病に罹り、その治療薬を開発する才能を持った若者が貧困によってそこに辿り着けないとするならば、それは間違いなく悲劇だ。それは中国人かもしれないし、日本人かもしれないし、アメリカ人かもしれない。(じゃん!)

こういうとき、わたしは劇的な場面を迎えた舞台女優のように、頭を抱え、思いきり叫びたくなる。

「あぁぁ!!天才が埋もれてしまう!!!」

舞台の端の方までスタスタと歩き、スカートを翻すかパンツの裾を広げるかして空を仰ぐ。

「われわれ‘全体’の、未来が懸かっているというのに!!」

迫真だ。その可能性があるというならば、未来ある若者を助けることに繋がる、貧困を解消する政策を期待できそうな方のアメリカ大統領をわたしが望んだって仕方がない。これはフェイクニュースではないのだから。

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