心の作用についての考察

わたしは昔から、競争心や敵対心を持って何かに取り組むというのが苦手だ。
一瞬、そのような感情が ぼこぼこと心の中に沸き上がってきても、それは入れ物を溶かしてしまう危険な液体で、わたしはそれを科学反応で燃料に変えることができないし、自分を疲れさせるだけだと知っていたかのよう。そのような感情は、すぐに萎えてしまって、結局は何事も起こせなかった自分への少しの嫌悪感と、それでよかったんじゃないかという安堵感を覚えて、元の場所に座っている。
もし何かを始めて、何かを続けて行くとしたら、そういう自分を赦していくこと。ぐるぐると負の液体がわたしの身体を巡ってどこかの臓器が悪くなってから気がつくようなときに、わたしはその臓器を治したいのではなくて、その原因となる液体が血液に溶けて運ばれるのが嫌だ、避けたい。自分を疲れさせるような感情と、それによって何も変えられなかった自分を赦し、手放すことによって。

どういうわけか、そういう作業が、わたしを自然とできてしまえるような物事のところへ、もしくは、以前だったら苦痛を感じていたようなことを
何でもないことのようにやってしまえる心のところへ、運んでくれるような気さえする。その毒を少しずつ取り除いていくことによって、喜びっていう脳内物質が効果を発揮してくれるみたいに。
わたしは心をもっと研究してみたい。すべてを
写し出し、感じ、人生を変えてしまえるのは心ではないだろうか。

だって、わたしの大切にしているバイブルにもそう、書いてあるんだもの。



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