「絵を観て涙が出る」という経験を、初めてした日の話。
昨日、noteのつぶやきにて使ったこの画像。
皆さんご存じでしょうか?
絹谷幸二さんという画家の作品で、
昨日スマホの写真フォルダから、久しぶりに見つけた絵でした。
正直、以前は全く知らなかったのですが、
5年ほど前に札幌の美術館にて特別展が開催された際、足を運び初めて作品に触れ、とても好きになった画家さんです。
思えば、自発的に美術館に絵を観に行ったのは、これが初めてだったように思います。
当時の私は、現在よりさらに絵に興味を抱いていなかったのですが、何故か突き動かされるように、気づいたら美術館へ向かっていました。笑
昨夜、荒々しい風の音が窓から聞こえた際、ふとこの絵たちが脳裏を過ぎり、当時展覧会へ行った時の記憶も一緒に蘇ってきました。
思えば、あの日もそんな荒々しい風が吹く冬の夜。
深夜1時、私は一人静かな家で寝る準備を済ませながら何となくテレビを点けていたのですが、突如視界に「絹谷幸二展」のCMが飛び込んできました。
これは自分でも驚いたのですが、
気が付くと、私はCMを観ながら、涙を流して動けなくなっていました。
息が詰まって、動悸もして、訳が分からないまま、「この展覧会に行かなければ」という衝動だけが沸き起こり、次の日にさっそく足を運んでいたのです。
今思えば、CMに使用されいた音楽「チャイコフスキー弦楽セレナーデ第1楽章」にも感動していたような気がしますが、(この曲をはじめて耳にしたのもこのCMが流れた時。それから大好きな曲になりました。)
何にせよ、観に行って本当に良かったと強く思う展覧会で、
力強く、温かく、激しい作品の数々を、涙ぐみながら食い入るように鑑賞したことをよく覚えています。
「アートは正解がないから、鑑賞の仕方がよくわからない。」
私が芸術に対して苦手意識を抱いている大きな原因はここにありました。
正解がないのに、どう評価され価値が見出されているのか。個人の感覚によるのでは?
特にこの展覧会へ行くまでは、美術史を知識として勉強しても、いまいちピンと来ていなかったのですが、
この「絹谷幸二展」を通して、芸術というものの何かに少し触れた時、その "体感"のようなものから意識がガラッと書き換わったように思います。
「知識がなくても、絵を観て涙が出るほど感動することがある。」
(でも、何故こんなに心揺さぶられるのだろう?)
これが、私と芸術との本当の出会いとなったような気がします。
知識は大切ですが、「体験」から得る情報はとても大きく、またインパクトもあるので、何事においても実際に動いてみるのがやっぱり良いかもしれません。
絹谷幸二さんの絵から、そう改めて思う一日でした。
では今日はこの辺で。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。