「ネガティブな自分も大切」を教えてくれた友との会話。
数年前、友人と「お祓い」の話になった時のこと。
その時、何故だか私の周りでは神社のお祓いがプチブームになっていて、色々な人から体験談を聞いていたので、ちょっと面白そうだなと興味が湧き、その友人にも話題にしたことがありました。
「お祓いって行ったことある?」
と私が聞くと、
「いや、興味ないかな。」
と返答が。
興味のないことにははっきりNOを言う子だったので、ずばっと返答されたことには何も思わなかったのですが、
その理由が、私はとても印象的で、今でもずっと覚えています。
「厄除けとか最近聞くけど、その”厄”も自分自身だから、祓いたくないんだ。」
私はこの答えを聞いてとても衝撃を受けました。
ネガティブな側面も、全てが自分を構成している大切な一部。
もしこの悪い部分が無くなってしまったら、自分ではなくなってしまう気がする。
そんなことを話してくれました。
当時の私はコンプレックスが今よりもっとあり、なるべく治したいし、無くなってしまえばいいと思っていたので、
こんな返答が来るとは思いもよらずびっくりしたのと同時に、なるほどなと強く納得したのを今でも覚えています。
確かにコンプレックスがあるから努力し、苦手なことがあるから人に頼り、そんなところから多くを学んでいたことに、その会話から気づかされました。
もし最初から持っていればその過程を通過することはなく、簡単に手に入っていればもっと違うことに時間を使っていて、
それは確かに、今の自分とは違う自分になっていたことでしょう。
そう考えると、全部必要だから存在している。改めてそう実感できるようになりました。
(とてもシンプルで簡単なことなのですが、つい忘れて、嫌な部分から目を背けてしまうんですよね。)
厄すらも自分の一部として受け入れ大切にできる器量は、私にあるかは自信がありませんが、この会話がきっかけで自分のネガティブな面との向き合い方が大きく変わったのは事実で、その人にはとてもとても感謝をしています。
何故か今日、ふとその会話を思い出しました。
その友人は自分の人生にしっかり責任を持っていて、他人のせいにするのが大嫌いな人。
そのせいで、少し他人を遠ざけるような雰囲気を出していましたが、とてもカッコいい生き方だなと、今でも憧れる存在です。
もう何年も会っていないのに、急に思い出したのが少し不思議でしたが、
もしかしたら、連絡を取ってみろという暗示でしょうか?
年始のご挨拶でも送ってみようかしら。
今日はそんな、ふと思い出した昔の会話を書いてみました。
きっと今の私に必要なエピソードなのだと思います。
では、今日はこの辺で。
お読みいただきありがとうございました!