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残り5日

今日は、ぐるぐる君が発動する彼の側にいて、本当に一緒にこれからいれるのかなってすごく不安になってしまった。この人と一緒にいて、私は幸せになれるのかなっていう気持ちもあるかもしれない。

多分それは、やっぱり頑張っている自分じゃないと好きになってもらえない、頑張っていない自分は嫌われてしまうって、自分自身が思っているから、頑張れない日の彼のことを受け止めきれないのかもしれない。

あとは、ずっとこうなんじゃないかっていう不安があるから。

不安があるのは当たり前で、それでも前を向いていける自分でいたい。不安になるのは当たり前だよねって自分のことも受け止めたい。そこに、なんで不安になっちゃうのかな?って考える必要はないんだろうな。そういうのは、元気になった時でいい気がする。

ずっとこうなんじゃないかっていう最悪のシナリオを想像してそれにとらわれてしまうと、不安になってしまうのだろうな。最高の未来を想像できない時に、不安になる。

そして、どうしてそれでも私は彼と一緒にいたいって思うんだろう。彼の、どういうところが好きなんだろう。どうして一緒に生きていきたいんだろう。そこについて、明日考えていきたい。


今日考えていたのは、どう生きていきたいのか。どんな人生を歩みたいのかっていうところで。

私は、「強さと柔らかさを大切にできる」自分でいたいし、「強さと柔らかさを大切にして」生きていきたい。

その上で、「シンプルな幸せを感じながら」人生歩んでいけたら最高だなって思うし、それだけじゃなくて「心奮う瞬間」を、たくさん人生の中で味わえたら最高だなって思う。

シンプルな幸せっていうのは、美味しいものを毎日食べられるとか、ゆっくりする時間があるとか、大切な人と過ごす時間とか、景色を楽しむとか、遊んだり旅行行ったりするとか、好きなことをするとか。

ある意味、当たり前の幸せとして見過ごされてしまうような、それを目標にするのって、妥協なんじゃないかって思う人もいるかもしれないような、幸せ。

これらがなかったら、私は絶対に満たされないと思う自信があるくらい、自分にとってはすごく大切なものだなって思っている。

ただ、自分が「柔らかさ」だけじゃなく「強さ」も手に入れたいように、「シンプルな幸せ」と両輪で手に入れたい幸せがあるように感じていて。

それが、「心奮う瞬間」なのかなと思う。この表現が正しいのかは、まだちょっと疑問が残るところでもある。「心動く瞬間」なのかもしれない、とか。

なんだろうな。心奮う瞬間を味わいたいから、熱く生きたり(思いを持って一生懸命取り組むこと)、人の思いに触れたり、チームで何かを作って働きたいんだろうな、人と関係性をつくりたいんだろうな、って思うんだよね。

じゃあ心奮う瞬間っていうと、「人の思いに触れて、自分の心が動くこと」なのかな。LDSの合宿もそうだし、箱根駅伝とか甲子園とかでもそう。思いが溢れる瞬間に立ち会うと、生きててよかったって思うことも多い。それにプラスして、自分の心が動くことも大切なんだろうな。思いが感じられても、心が動かないことも多分あるような気がするから。

じゃあ、自分の心が動くってなんだろう?。充実感とか、感動っていうイメージではあると思うんだけど、しっくりこないような。自分の思いも溢れるって感じかなあ。それが、どんな思いでもいいと思うんだけど。

となると、心奮う瞬間って「人の思いに触れて、自分の思いが溢れること」かな。自分の思いが溢れてたら、人の思いに触れなくてもいいんじゃないか?とも思ったけど、それはちょっと違うのかな。例えば、すごい美しい景色を見たら、思いが溢れるかもしれないけど、それはあんまり心奮うっていうのとは違うんだよなあ。

人の思いに触れて→自分の思いが溢れる
じゃなくてもいいのかも。「自分と人の思いが溢れる瞬間」が、私にとっての心奮う瞬間で、それがたくさんある人生が幸せだなって思う。


改めて。

強さと柔らかさを大切にできる自分で、シンプルな幸せと、自分と人の思いが溢れる瞬間をたくさん味わいながら生きていきたい。

▼そのために必要な要素
シンプルな幸せ
・大切な人
・美味しいご飯
・余白
・住む環境(自然豊か、ゆったりとした時間)
・楽しみなこと、ワクワクすること

自分と人の思いが溢れる瞬間
・関係性
・チーム
・思いに触れられる時間
・熱くなれる対象
(一生懸命、思い入れがある)
・やりたいこと


でも極論は、「今日も楽しかった」そして「明日も楽しみだな」って思える日々を送れることが、一番の人生のゴールだなあ。


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