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思考停止をしない工夫

自分が好きなものについてなぜそれが好きなのか、どこに惹かれたのかを考えることはありますか。

先日、友人が私のインスタグラムでの投稿に「素敵〜」とコメントをくれました。常々彼女の投稿を見ながら「おしゃれだなー」と思っていたので私の投稿に共感してくれたことも嬉しかったのですが、返信をした後に彼女がおしゃれな理由が少しわかった気がしたのです。

それは「思考停止をしない」こと。


何を伝えたいかを考える

「大げさな」と思われるかもしれません。でも普段の彼女の投稿をよく見ていると、彼女が何を「素敵」「残したい」「シェアしたい」と思ってその瞬間を切り取ったのかが分かるんです。それは構図だったり、色合いだったり、写したものの対象だったりする。それぞれポイントは違っても、全体を通して彼女がどういう風に世界を見て、何を感じたかまでが伝わってきます。

それは多分、彼女自身がその瞬間を切り取る時に「私はこれのここがいいと思う」というのをはっきりと分かっているからだと思います。意識的にか無意識にか分かりませんが、自分が伝えたいものというのを彼女自身が理解している。よく言われる言い方をすると「解像度が高い」ということになるのでしょう。私なんかは「なんとなくこの雰囲気が好き〜」というテンションで写真を撮ってしまいますが、そこから一歩踏み込んで「何が私にその感情を抱かせるのか」という目線で画面に写ったものを見てみると、後から振り返った時にも、その時の感情がよりクリアに見えてくる気がします。

感じたことを目に見える形にする

彼女に返信をしたタイミングでなぜそのことを理解したかというと、彼女の「素敵〜」というコメントの後ろについていた絵文字が、私の投稿のどこに惹かれたかを表していたからです。具体的には「色の組み合わせ」と「少しレトロな雰囲気」でした。投稿内容に直接関係のない絵文字だけでそれを伝えられるってすごいですよね。それで「ああ、彼女は普段からこうやって自分の心が動いた瞬間を可視化する工夫をしているんだなあ」と思ったのです。そのことに気づく前に、自分自身は普段からよく使う絵文字を使って返信をしていました。後からそのやり取りを見たときに解像度の高さの違いに気づいて、一見些細に見えるこの違いが積み重なって「おしゃれ」の境目を生み出しているのだと悟りました。

「なんとなく」の一歩先に

私は普段、直感を大事にする意味でも「なんとなく」という感覚を頼りにしています。時にはそれも重要です。でも「なんとなく」の一歩先、なぜ自分はなんとなくそんな感情を持ったのか、に注目してみると、自分のことがもっとよく見えてくるのかもしれません。自分の物の見方や感情のクセに気づくことがあります。それはきっと、「自分の伝えたいことにぴったりの絵文字を選ぶ」という些細なことでいいはず。もう少し丁寧に日常を見てみよう、と思えた瞬間でした。


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