何も変わっていない気がするけど実はそうでもないと気づいたこと。
何かを変えようとする力
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生きていると、「こんなはずじゃない」と思うことが時々ある。
じゃあ、どんなはずだったのか?
自分に問いかける。
すると、
「私は目標を持って計画をたて、それに向かって努力してきた。しかしまだ目標は達成されていない。それどころか予想もしなかった邪魔が入り、目標の達成を諦めざるを得ない状況にまで追い込まれている。」
と心の中で憤慨しながら訴えてくる自分がいるのだ。
何がいけなかったんだろう。
計画の内容か?
努力が足りなかったのか?
はたまた、設定した目標自体に無理があったのか?
とにかく今のままではまずい。
何かを変えなければ。何かを。
何を変えればいいんだ?
一体何を変えれば目標に近づけるんだ?
もしかして・・・自分の気持ち?
計画をたてること?
目標にどれだけ近づいているか確かめようとすること?
「何か大切なことに気づかなければ、これ以上進むことはできない。」
最近、心の内外からそんなメッセージが毎日のように聞こえてくるのだ。
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すべては最善のタイミングで起こるということもわかっている。
しかし、「求めなければ与えられない」ということもまた知っている。
そして、「何も心配せず、好きなように過ごしなさい。」というメッセージもまた、ここのところ毎日のように受け取っているのだ。
これらのメッセージからわかることを整理してみよう。
1.現状では、私の思う「目標」はまだ達成されていないこと。
2.そのためには何か大切なことに気づかなければならないこと。
3.何も心配せず好きなことだけやっていればいいということ。
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目標達成を引き寄せる努力の効果
私は「目標達成」をなるべく早く引き寄せるために、毎日、「すでに目標を達成した状況」を想像して喜びの感情を感じるようにしている。
これはやり方を微妙に変えながらも半年以上続けてきたことである。
しかし、大きな変化は感じられない。いや、もしかしたら自分が気づいていないだけじゃないか?
実際、1年前の自分を思い出してみればわかる。
それはスピリチュアルを自分の人生に取り入れていこうと決めた時期だったが、何せ学ぶべきことが多すぎた。自分にとって何がふさわしいのかなど選ぶ心の余裕も術もなかったのだ。
とはいえ、今になってみればこのタイミングでスピリチュアルな情報と出会えたということ自体が運命であり、「宇宙の計画」に沿っていることだったとも思える。
その頃に見たタロット占いサイトで受け取った印象的なメッセージがある。それは
「あなたの1年後は今からはとても想像できないほどシンプルな生活をしています。」
というもので、今でもはっきりと覚えている。
こんなドロドロのぐちゃぐちゃの状態が、いったいどうやって「シンプルになる」と言うのだ。
当時の私にはまったく想像がつかなかったが、その言葉が今の自分へと行動を起こすきっかけになったことは間違いない。とは言え、そのタロットで出ていたカードの絵柄は憶えていないし、その後何度同じサイトで占ってみても、それ以来「シンプルになっている」という例のメッセージを見ることはなかった。
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そこで私はふと、映画「ビッグ」を思い出した。遊園地の片隅にひっそりと置かれたフォーチュンマシン。ところが、何気なくマシンから受け取ったメッセージで人生に魔法のような奇跡が起こる。そして、そのメッセージを受け取った時、フォーチュンマシンの電源コードは抜かれていたという話だ。
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つまり、あのメッセージはあの時の私のためだけに与えられたものだったのだ。
今思えば、確かにちょっと具体的過ぎる気がしないでもない。
「1年後」にしても「想像できないほど」にしても「シンプルな生活」にしても、誰にでも当てはまることではないし、この文章自体は特段気分が上がるようなものとは思えないのだ。つまり「運気が良くなる」とか「幸運が訪れる」といった誰もが喜ぶような嬉しいキーワードは一切含まれていない。しかし、私はここに生きる希望を見出したのだ。
そして、実際に1年後の現在、私は1年前とは別人と言ってもいいくらいのシンプルな生活をしている。
すべて自分の喜びのために生きているのだ。
その日その日にやりたいことだけやる生活。
その時に食べたいものを食べたいだけ食べる生活。
好きな時に休める生活。
はっきり言って、「すべて、完全に自由」なわけだ。
これを10代や20代の頃の自分が聞いたらどんなに羨ましがるだろうか。
しかし、今だからこそそれが許されているのだ。
10、20代に「なんでも好きなようにしていい」と言われたらどんだけ自堕落になっていたかわからない。
強いていうなら、愛犬2頭の世話があるために時々は「しなければ」という感覚もあるが、それがあるからこそ最低限の規則正しい生活ができている、と思えばありがたいことである。
話がだいぶ逸れてしまったようだ。
つまり、「何も変わっていない」というのはまったくの勘違いで、はっきり言って「完全に変化を遂げていた」というわけだ。
それでは、もし今「何かを変えなければ」という感覚があるとするなら、それは一体どういうことなのか。
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シンプルに生きること。
私は以前のような「ぐちゃぐちゃ」には絶対に戻りたくない。
いや、こんなことを書くとその状況を引き寄せるかも?
それなら、こう書くとしよう。
「私は今よりももっとシンプルな考え方になり、さらにシンプルな生活になっていきます」と。
人間という存在、さらには「人の人生」とはシンプルなものであるという感覚を持てばいいのだ。今までは、少し難しく考え過ぎていたのかもしれない。
確かに人間の心も体も、非常に複雑で緻密につくられており、未だに解明されていないことだらけである。だからと言ってそれらを解明しなければ人は幸せになれないのだろうか?
いや、なれる。てか、そんなの全然関係ない。
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解明するのが喜びという人は気が済むまで解明すればいい。むしろ、そういう人たちのために解明する楽しみを与えてくれているという見方もできる。
でも、すべての人がそれを知る必要はない、ということだ。
人の心の仕組みや体の仕組み、魂の計画や宇宙の計画、潜在意識が今どう働いているか、などなど・・・そんなこと、今の自分の頭でウンウン唸って考えたところで、わかるはずもない。
だから多くの人は「やっぱり、人間ってわからない」「人間は複雑だ」という結論で片付けようとするのだ。
そこで、さらに考えてみる。
複雑な作りのものが作り出すものは何だろう、と。
例えば時計。例えば車。
例えばパソコン。
例えばスマホ。
これらが最終的に我々人間にもたらしているものとは何ですか?
そう、喜びであり、豊かさであり、幸せである。
ということは・・・
人間という存在もまた同様なのではないか?
もし何かを変えたいと思うなら、まずは
「人間は複雑である。」という思い込みから完全に開放されること。
私は今、やっとそんな結論にたどり着いた。
シンプルな考えでシンプルに生きる。
これこそ究極のシンプルライフである。
私はそれを実現することをここに宣言する。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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