瞑想日記 2022年8月29日 【何者でもない自分を思い出すこと。】
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ここ最近のちょっとした忙しさから解放され、やっとエネルギーが戻ってきたのか
今朝の瞑想ではいくつものメッセージを受け取ることができた。
そのうちの一つが
「何者でもない自分を思い出すこと」というもの。
このメッセージについては、実は以前にも受け取ったことがあった。
しかし、今回はその時とは違う意味を持っているように思えたのだ。
以前受け取った時は
「ありのままの自分になるために一旦リセットする」と解釈したし、おそらくそれがその時に必要なことだったのだろう。
🌿
今日、この同じ「何者でもない自分」という言葉から私が感じとったものは、もっと具体的な
「自我が目覚める前の自分」というイメージである。
自我が目覚める前、つまり《自分がどこにいるのか》、《何という名前なのか》、《男なのか女なのか》、はたまた《人間なのか動物あるいは植物なのか》さえもわからない、赤ん坊の頃の自分である。👶
私はこのメッセージをくれたハイヤーセルフに尋ねてみた。
以下、私とハイヤーセルフとのやりとりである。
私:何者でもない自分を思い出すことで、私はどうなるのでしょうか?
ハイヤーセルフ:
新しい可能性の扉が開く。
私:なぜ何者でもない自分に戻ると「新しい可能性の扉が開く」のですか?
ハイヤーセルフ:
何者でもないこととは、すなわち「何にでもなれる」ことだから。
私:なるほどー。
確かに小学校に上がる前の小さな頃は見える世界のすべてが可能性に満ちていた気がします。あの頃は「できない」という概念がなかった。
いつでも目の前に感動できる何かがあったし、時間も空間も関係なく自分だけの世界で遊ぶことが楽しくて仕方なかったんです。
もしかしたら兄弟や友達と遊んでいる時でさえ、実は「自分だけの世界🌈」で遊んでいたのかもしれないなぁ。
その頃は「誰にどう思われるか」なんて
もちろん気にしたこともなかった。
だから、自分だけの世界では王様にもお姫様にも、お父さんにもお母さんにも、お兄さんにも赤ちゃんにも、ゾウやキリン、猫やネズミ、鶏やミツバチにでもなれたんです。
🐘🐱🐭🐔
新しい可能性の扉っていうとどうしても「社会のためになること」という範囲で考えてしまいますが、本当に「あらゆる可能性」を考えるならもっと根源的なことなのかも・・・。
たとえば、人間以外になるとか?
ハイヤーセルフ:
あなたは人間だと誰が決めたのだ?
誰かに言われたからそう思い込んでいるだけだとは思わないかね?
狼に育てられた人間、猫に育てられた犬、アヒルに育てられた白鳥の話を聞いたことは?
私:・・・え?では、私は「人間に育てられた○○」だったのですか?
ハイヤーセルフ:
フフフ・・どうかな?
私:いや「フフフ」じゃありませんよ!
私は一体、何なんですか?!
ハイヤーセルフ:
おかしいなぁ。
その話は済んだはずだと・・・おっといけねぇ、おっかぁに豆腐を買って帰るよう言われてたんだった。あぶねえあぶねえ。
えーと、豆腐屋はどこだったかな?
あっちか?それともこっちか?
うん、たぶんあっちだな。よっしゃ!
かーえろかえろ。
カエルが鳴くからかーえろ♪
(カー、カー、カー。)
私:何だったんだろ・・・カエルじゃなくてカラスが鳴いてるし。
というわけで、わかったようなわからないような《軽いモヤモヤ感》と《不思議なワクワク》を胸に、意外と楽しい気持ちで
今朝の瞑想を終えたのだった。
おしまい。
※この日記は瞑想によるその時の気づきを記録したもので、最終的な答えではありません。新しい気づきは常に変化しており、それは現在も続いています。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!
いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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