自己ブレーンストーミング!その2・『自分の存在価値』
今回のブレーンストーミングでは、「自分の存在価値は何なのか」考えてみよう。
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ことあるごとに私は、自分の生きる意味について考えてきた。
「なぜ私は生きているのか?」
「私が存在する価値は何なのか?」
「私は何かの役に立っているのか?」
・・・こんなことを考えるときというのは、たいてい自分に自信をなくしているときだ。
自信をもって何かをガンガン進めているときには、考えもしないことである。
一番ネックになっている問いが、
「自分は何かの役に立っているのか?」
である。
なぜなら、こんな疑問が湧いている時点で、
「今、自分は何の役にも立っていないのではないか。」と思っている証拠だからである。
しかも、私はそれに対する答えをちゃんとわかっているにも関わらず。
その答えとは、
「人は何か(誰か)の役に立つために生きているのではない。」
ということ。
いや、もっと言えば、、「役に立つこと」の解釈についての思い込みである。
つまり、「役に立つ」ためには、何か人の役に立つものを作ったり、人の喜ぶことをしたり、世の中が必要としている何らかの労働をしなければならない、という考え方である。
この考え方に疑問を抱いたのはつい最近のことで、それに対する答えを得たのもまた、つい最近のことだ。
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まず、「役に立っていなくても、人は存在する価値がある。」ということ。
しかし、この「役に立っていなくても」というのは、今までの世界の解釈によるものであり、さらに厳密に言うなら、実は
「人はその存在自体が既に役に立っている」のだ。
いわゆる「世の中の役に立つこと」をしていようがいまいが、である。
なぜなら、私たちが住むこの地球、そしてこの宇宙にとっての私たちの存在意義というのは、
どれだけ効率的に仕事をこなせるか、どれだけたくさん商品を売れるか、どれだけたくさんの「いいね!」がもらえるかなどではないのだ(これらはすべて世間の人たちがどう評価するか、にかかっている)。
とは言え、この考え方を理解するためには、今自分がいる場所(目の前の現実)から遠く遠く、地球が一つの「青い星」に見えるくらい遠くまで離れてみる必要がある。
もちろん、実際にそんなに離れることはできないので、自分の頭の中でやってみるといい。
そこまで離れて今の自分を見たときに、果たしてどう見えるか。
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例えば、
「毎日バリバリ働いて、会社にも家族にも感謝されている人」と
「気が向いた時だけ仕事をして、足りない生活費を親に頼っている人」と
「障害のために働けないが、趣味をもって毎日を楽しんでいる人」と
「社会的な地位があり、経済的にも成功して人々から信頼されている人」
では、その存在価値に何か違いはあるのだろうか。
たぶん、よく考えてみれば誰でもわかるはずだ。
「これらの人たちの存在価値は同じである」と。
にもかかわらず、相変わらず「自分の存在価値は何だろう?」と自分に問いかけてしまうのは一体なぜなのか。
それは、自分の中に『過去の思い込み』がいまだに住んでいるからである。
それはまた「何かを得るためには何かを与えなければならない。」という
「ギブアンドテイク」と言われる観念でもある。
しかし、人の一生はそんな昨日今日始まったものではないのだよ、とここのところ毎日誰かから言われている気がするのだ。
もし何かを与えらる機会を得たのなら、喜んで受け取ればいい。
むしろ、受け取ることが今のあなたの使命だからだ。
「私は何もしていないので、受け取る権利はありません。」などと拒むことは、かえってあなたの人生に関わる長い長い歴史から導き出された魂の計画を乱すことになるのだ。
つまり、「人の一生」はその人だけのものではない、ということ。
「そりゃあ、一人の人生にはたくさんの家族や友達、仕事仲間や様々な人たちとの関係があって成り立っているのだから、人の人生はその人一人のものではないでしょう。」という常識的な考えとは少し違う。
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それは、「私」という命がこの地球に生まれるに至った経緯と「私」という命の後に続くものの計画である。
それは、私の両親が結婚するずっとずっと前、何十年、何百年、何千年も前から続いてきた経緯であり、子どものいない私の後にも続いていくであろう、「魂のバトン」である。
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そこには想像もつかないような壮大なスケールの歴史があり、この「魂のリレー」はどこかに向かって繋がっているのだ。「どこか」というのはこの魂がもともといた場所。そこへ帰るまでにこの地球で果たさなければならないことがある、ということである。
「果たさなければ」というとついつい頑張ってしまうのだが、1人が頑張ったところでどうにかなるようなレベルのことではない。むしろ変に頑張ることで計画が変わってしまったり、後戻りする羽目になることもあるから、今更ジタバタしてもしょうがないのだ。
私は52年という、私にとっては相当長い年月の大部分を「修行の場」ととらえて生きてきた。だから、やっと辛い修行が終わってこれからどんな楽しいことが待っているのかとワクワクする一方で、長い修行が終わったことそれ自体に満足してしまい、
「もういいや。」という心境になっていることも確かである。
だから、この上さらに
「あれをやれ」
「これをやれ」などと指示され、
それに従わなければ生きていけないなどと言うのならもう結構です、と言いたいのだ。
これはマジな話。
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そこで初めの「自分の存在価値は何なのか」という疑問に戻る。
もはや人の求めに従って何かをする気など、まったくなくなった私がここに生きている意味など、果たしてあるのだろうか。
「誰かの役に立つために自分を犠牲にするなんてまっぴら御免」という心境に至った私が
それでも生き続けていく意味とは。
私は宇宙に聞いてみた。
すると、こんな答えが返ってきたのだ。
「そういうあなただからこそ、存在する価値があるのです。」と。
「だから、あなたはあなたのすべてを受け入れ、あなた自身の存在価値を認めてください。宇宙も地球もあなたのすべてを受け入れ、あなたの存在を心から祝福しているのです。」と。
何もしないでダラダラしててもですか?
「はい。」
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不安や怖れに苛まれて、自信を失っていてもですか?
「はい。」
目標はあるのに前に進むことが怖くて、具体的な計画が立てられずにいてもですか?
「はい。」
『視点を変える』というメッセージを受け取ってもどう変えたらいいかわからず、結局何も変わらなくてもですか?
「はい。」
自分の情熱をこめて創り出した作品に思うような評価が得られなくてもですか?
「はい。というか、今、人から評価を得ることは重要ではありません。あなたが、今創り出したいものを自由に作り続けることが大切なのです。それができているあなたは本当に素晴らしい。だから私たちはあなたを祝福しているのです。どうか勇気を持って作り続けてください。小さな範囲内での人からの評価を気にしないでください。あなたが作り出したものはこれからの地球と宇宙のために必要なものなのです。私たち宇宙があなたを全面的にサポートすることを約束します。どうか安心してください。あなたは大きな存在に守られているのです。」
これでもかというほどの豊かさを、あなたにあげよう。 ☆大きな存在より☆
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さて、ここまで書いてきて何を感じているか?と自分に問うてみる。
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とりあえず、好きなことすればいいんじゃね。
たぶん、誰にも「ダメ」とは言われなさそうだし。
言うとしたら・・・自分。
結局のところ、そこに戻ってくるのだ。
本当にありのままの自分を許せるようになるためには、まず、
「こうありたい」という理想の自分を一旦リセットすることが必要なのかもしれない。
そのためには、「リセットするために必要なこと」のイメージさえもリセットする必要があるのかもしれない。
あぁ、生きるってめん・・じゃなくて、楽しい。
えー、他によろしければ…今回はこれにて。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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