「Yes!プリキュア5」感想
プリキュアシリーズ4作目の本作のテーマは「夢と希望」。「ふたりは」がタイトルから外れたシリーズ初の5人構成のプリキュアとなっています。全体的に続きものとなるような連続性のあるシナリオは少なく、終盤までは1話完結のシナリオがほとんど(終盤以外だと連続していても2話分程度)。しかも敵幹部も含めてコメディ要素が多め……一般サラリーマンを想起させる敵組織、出撃時に「管理職は残業代でないし」とか、パワハラしていた部下をすべて失った失態から、別部署に異動して逆にパワハラを受けるブンビーなど……コミカルに描いているので見やすい作品となっています。
さて、物語はというと人間関係が強く描かれてきましたね。例えばミルク。ミルクは女の勘なのか、登場時からココに近いのぞみだけを完全に目の敵にしていて、登場時から問題を起こすのがほぼのぞみに対しての敵対行動からとなっています。ミルクが出る中盤には、5チームは基本的にはのぞみを肯定的であり、こうなると彼女を嗜めることはあっても大きく意見が対立することは難しいですし、無理に引き起こそうとすれば5チームの誰かに嫌悪感が出てしまう可能性すらある。それを引き受けるのがミルクというキャラクターです。ミルクが現れたことにより彼女らの衝突、チーム関係の見直し、さらには終盤ではミルクを通してのぞみ以外の5チーム面子とのぞみについて語り合うことで、のぞみの良さを視聴者に再認識させつつ、また、常にのぞみとぶつかることで物語を進める。物語の牽引役にもなっています。
そんなミルクですが、のぞみとの恋愛の比較対象にもなっていますね。決定的だよなーと思ったのが、カワリーノが変装したココをミルクは見破れずドリームコレットを渡してしまったシーン。のぞみはココの偽物を映画でも含めて2回は見破る(ミルクがコレットを渡してしまったシーンを見破ったに含めれば3回)。結果としてミルクはココを“立ち位置と外見でしか”見ておらず、のぞみは“立ち位置や外見など関係なく”見破れているのでのぞみは“ココの内面まで含めて”まで見ていることになっている。のぞみとココの言葉を借りれば「以心伝心」人間関係を描くに際し、比較対象の存在は重要ですね。恋愛物として見た時、好かれる理由、嫌われる理由を描きたいのなら、のぞみが選ばれる理由を、他のココに惚れているキャラクターとの比較ができる環境も必要なのですよ。
のぞみは序盤こそ、おっちょこちょいで勉強もスポーツもダメ、食べることぐらいしか興味がなく、元気で前向きなだけが取り柄で、キュア“ドリーム”なのに“夢もない”女の子として描かれています。それがココと出会うことでパルミエ王国の復活という夢を持つようになる。他者の夢とは言え、彼女が夢を持つことで変わっていき、周囲を巻き込んでいく。
「夢と大切な人、どちらも失いたくないと考えることを放棄しすべてに絶望しろ」
(―――Yes!プリキュア5 45話 ブラッディより)
のぞみはパルミエ王国の復活のきっかけ……ココの夢を与えたところで、ココと別れることになります。のぞみの最初の夢はそこで無くなり、そして同時にココに夢を与える形になっています。
「のぞみの気球は今、地上で空気を入れているところかな」
「可能性という気球だよいろいろなものを見て聞いて感じて学ぶことで気球が膨らむ」
「将来の夢ができた時、高く飛べるようにさ」
(―――Yes!プリキュア5 11話 小々田先生より)
ラストシーンでは11話でのココとの会話をヒントにし、のぞみは教師になる夢を持つ。ココからのぞみへ、のぞみからココへ、どちらか一方ではなく”夢を双方与え合う”。最終話まで精神的な支えとしてのココとプリキュアとして頑張ってきたのぞみを描いてきたからこそ、二人の対等な関係を象徴したこの別れのシーンは印象的な物となりました。
他のメンバーの人間関係も丁寧に描かれていますね。りんとかれん、夢を語り合う彼女らは似た者同士でライバル的な関係で描かれ、普段かれんは大人びているけれども、りんと張り合っているときは我が出て年相応に見えたり、ミルクを看病しているときなんかは普段以上に大人びて見えたり、チーム全体を俯瞰できてツッコミ役に回るりんも、かれんと張り合うと視野が狭くなってしまったり。自己評価の低いこまちは小説家の夢を読書家のナッツとの関係に絡め、皆に背中を押される形で、同じく女優の夢と友人関係に迷っていたうららの夢も皆に背中を押される形で描かれます。さらにこまちが書いた作品でにうららが出演というお互いの夢の共有。チームの中心であるのぞみだけとの関係で終始するわけではなく、各キャラ同士の人間関係を“夢”に絡めて描く。
“夢”を与え合う、“夢”を語り合う、“夢”で張り合う、“夢”を後押しする、“夢”に思い悩む、 “夢”を共有する。全体を通して自分の夢を確固たる物にする女の子を5通りで描く、それを各々+ココ、ナッツとの関係性を描きながら。しかも各々の夢を見つけていく様が彼女らの性格をよくあらわしたものに仕上げて来ている。キャラクター造形の巧みさは凄まじい物があります。
そしてそれは敵との対比にも生きてきます。
毎話戦闘があるプリキュアという戦闘を作品の“売り”にしたシリーズながら、最後は説得で終結に導く。ラスボスたるデスパライアは永遠の命、若さを手に入れても絶望したまま、希望は持てなかった。老いること、力を失うことが怖いのではない、本当に怖いのは孤独であること。のぞみはそこを突いた。のぞみは仲間がいるから希望があると。最初のカワリーノの死ではデスパライアは表情一つ動かさず、彼の死に何も感じていないのがわかるのですが、説得後の再度カワリーノがブラッディに引きずり込まれるシーンでは動揺が抑えられなくなっていることから仲間に対する意識が変わっているのがわかります。これはこれまでカワリーノ任せにして連携をせず、仲間を犠牲にしてきたがゆえに封印されることを選んだデスパライアとチーム内で信頼関係の構築を図り未来のある5チームとの対比が効いています。仲間との関係性を今まで丁寧に描いてきたから説得力のあるシーンになっているし、序盤ののぞみを考えると、彼女が敵にチームの精神的柱と評されるだけの成長をしてきたのが感じ取れますし、同時にチームの信頼関係も強調されます。
「楽しいだけじゃだめなんだよ。今はどんなことも諦めずに一生懸命がんばれって教えてもらった」
(―――Yes!プリキュア5 24話 のぞみより)
そして彼女たちの夢という点に絞ったとき、プリキュアの力自体はあくまでも友人関係のきっかけに過ぎない。彼女たち自身の夢を叶えるのはプリキュアの力ではなく、そこにはなんの奇跡の力も持たない女の子が自分の力で乗り越えて行こうとする。全員各々の確固たる夢を持つまでがこの物語であり、同時にエンディング後からが彼女たちの夢を叶える物語の始まり。
物語の流れは王道で気持ちよく、そして人間関係に夢を絡めながら、丁寧にキャラクター描写に当ててくる。だからこそ、これだけ魅力的なキャラクターが造形できたのだと。
その魅力は、彼女たちが今現在に至るまで愛され続けているのがその証左と言えましょう。
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