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もしかして、もっと楽しく生きてもいいのでは?

”この人、人生楽しそうだな”

時々、そんな人と出会うことがある。

好奇心旺盛で、いろんな出来事に対して前向き。
教養があって話も面白く、周囲の人からも好かれている。
「ここに行ってきたよ」「今度こんなところ行くんだ!」と、ワクワクする話を聞かせてくれて、聞いているこちらまで楽しい気持ちにさせてくれるような。

あるいは、我が道を行くタイプだけれど、”自分のスキ”にどこまでも正直で、自分のやりたいことをとことんやっている人。
自分が心からやりたいことをやっているから、悪いことがあってもポジティブに受け止めることができて、全体的に晴れ晴れと生きている。


あなたの周りにもそんな人、いませんか?

友達だったり、恋人だったり、会社の先輩だったり。

私の周りにも、高校、大学、会社など、人生のどのステージにも、こうした人たちは必ずいた。

そういう人たちを見たり、話したりするたびに、憧れるとともに「いいなぁ」と思ってしまう。

私は”楽しく生きる”がけっこう苦手なのだ。

* * *


楽しそうに生きている人は、総じてプラス思考の人が多いように思う。

「ちょっとお金ピンチだけど、このライブ2回目も行きたくなっちゃって行っちゃった!」

「英語全然わからないけど、海外のディズニーランドにどうしても行きたくて。でも、英語できなくてもなんとかなったよ」

「思い切って今の仕事辞めて、溜まったお金で陶芸の学校に通おうと思うんだよね」

みたいに。


軽いノリで、楽しそう!と思ったことにはとことん前のめりに進んでいく。

私だったら、どうしてもワンクッション置いてしまう。
そして、なにか理由をつけて結局やらないことが多い。

「ライブ2回目も行きたいけど、お金こんなに使っていいのかな」

「英語わからないのに海外に行って、危険なことに巻き込まれたらどうしよう」

「やってみたいことはあるけど、仕事辞めるリスクもあるし……」

と、持ち前の心配性も発動してぐるぐる考えてしまい、躊躇しているうちに楽しいことのチャンスを逃してしまったりする。


こんなふうに”慎重に考えすぎる”という性質は、リスク回避という意味で自分を守ることに繋がっているので、必ずしも悪いことではないと思う。

けれど、ここ最近でようやっと「自分、この性質のせいで楽しいことを諦め過ぎてないか……?」と思い始めたのである。

* * *


先日、会社で歳が近い同僚同士でご飯を食べたときのこと。
たまたまついていたテレビで、沖縄の旅特集が放送されていた。

ちょうど夏休みのシーズンだけど、このご時世、自由に旅行ができない。

「本当だったら今年沖縄に行く予定だったのにな~」と、先輩の一人が漏らした。

そこで、「じゃあ来年行こうよ!お金10万くらいあれば行けるよ」と別の先輩。

そこから、こんなところにも行きたいんだよね、とか、20代のうちにこれだけはやりたい!とか、実現できそうなことから相当頑張らないと難しそうなことまで、楽しそうな話題がポンポンあがった。

その話の中で、
「かなちゃんは今度自由に旅行できるとしたら、どこに行きたい?」
と聞かれたのだけれど、私は「ここ!」という場所がすぐに浮かばずに、
「私も沖縄ですね〜。行ったことないので!」
と何となく話を合わせる形になってしまった。


そう言った後、テレビの沖縄の景色を見ているうちに本当に沖縄に行ってみたくなったのだけれど(単純……!)、私は、自分がどこに行ってなにをしたいのか、ぱっと答えられなかったことが何となく情けなかった。

自分ってつまらないなぁ……、と思ってしまったのだ。

* * *


思うに、今の私は「本当はこんなことをしたい!」という欲はあるのだけれど、前に書いたように、せっかく湧き出た欲を、何かと理由をつけて抑え込んでしまっている。

この癖が、「楽しそう!」と思ったことに素直に進んでいくことを阻んでいるように思う。

ようするに私は、そんなに気負わずにもっと自由に物事を楽しんでもいいのかもしれない。

時には難しいことを考えず、とことん楽しさだけを追い求めるときがあったっていい。
せっかく生まれてきたんだし。

そうしているうちに、”この人、人生楽しそうだな”という人に、少しずつ近づいていけたらなと思う。



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