物語の中の"電話"の役割(前編)

小説が好きだ。
今話題になっている作家さんの本を手に取ることもあるし、好きな作家さんが少し昔に出した作品を読むこともある。

私は吉本ばななさんや江國香織さんの小説が好きで、「キッチン」や「落下する夕方」は、物語の世界観に惹き込まれ、もう3回くらい読み返してしまった。

どうしてこんなに惹かれるのだろう、と考えたときに、少し切なくてあたたかい雰囲気の描写が素敵だっり、登場人物が魅力的だったり、台詞にハッとさせられたり…と、挙げればきりがない。

そんなふうに考えている中で、ふと思いついたのは、2作品とも"物語の要所要所で、"電話の存在感がキラリと光っている"ということだ。

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(以下、若干物語のネタバレを含むので、まだ読んだことがない方はぜひ読んでからご覧下さい…!)



たとえば、吉本ばななさんの「キッチン」で、主人公のみかげは、肉親を亡くしたばかりの友人・雄一を置いたまま、仕事のために伊豆に行く。
このとき、結局雄一も旅行で東京を離れ、みかげとはまた別の宿に泊まっていたのだけれど、彼を気にかけたみかげは、人づてに聞いた宿名と宿の連絡をもとに、飲食店にあった電話で連絡を取る。
宿の人が取り次いでくれた電話で雄一の声を聞いたみかげは、自分が食べたカツ丼を彼にも食べてほしい、と思い、タクシーで彼の宿へ向かう。

また、江國香織さんの「落下する夕方」では、主人公の梨果が、別れてしまった恋人・健吾からの定期的な電話連絡を心待ちにしている。
ある時、仕事のサマーキャンプの引率を終えた梨果は、去年は公衆電話から健吾へ「ただいま」の連絡をしたことを思い出してたまらなくなり、現在の同居人の華子(健吾は華子のことを好きになってしまったために梨果と別れた。なのに、華子は梨果の家に居候している)へ電話をかける。

上記に挙げた以外にも、作中で登場人物が電話で会話する場面は多く出てくる。
作品の舞台となる時代では、まだメール機能やSNSが台頭していない。
そのため、この時代の電話は、離れた恋人同士、あるいは遠方に住む家族同士を繋ぐ、重要なツールだったんだなぁ、ということがわかる。

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”電話"は、生まれた年代によってその立ち位置や印象が違ってくると思う。

私は'94年生まれだが、幼少期にはまだ一家に一台固定電話があった。
FAXで友人や祖父母とメッセージを送り合うこともあった(確か、FAX専用のかわいい便箋みたいなもの、ありましたよね?懐かしい!)。

いわゆるガラケーが普及しだしたのは、小学校後半のとき。
中学時代は、ガラケーを持ってる派と持っていない(買ってもらえない)派に別れた。
私は、買ってもらえませんでした…。

初めて携帯電話を手にしたのは高校生のときで、この頃はまだガラケーが一般的だった。
LINEもまだ無かったので、みんな主にメールでやり取りしていた。

スマホが現れたのは、高校卒業のタイミングだったと思う。もうスマホに切り替えた派と、まだガラケーで頑張る派で連絡先の交換方法がいり混じり、グループLINEの招待に漏れたまま卒業する人間が一定数いた。私のことです。

いよいよスマホに切り替えたのは大学時代で、そこからはずっとスマホを使っている。
ここ数年間で、SNSはいろんな種類が登場した。TwitterやInstagramなど、会ったことのない人同士でも簡単に繋がれるツールは、少し昔には想像できなかったと思う。


(長くなってしまったので、後半に続きます→)


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