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「好きな事を好きにやる」のが難しいけど、できるようになりたい4

子どもの頃から20歳前後までは、好きなモノやりたい事があった。若い・夢見る夢子的。と言えばそれまでか。大人になって現実が見えるようになった。若気の至り。落ち着いた。

世間様的にはマトモになったってことなのかもしれない。世間一般の考える良い女的、結婚したい女的、お嫁さんに来て欲しい娘的、雑誌・ドラマに出てくるカワイイ女子的、な人を目指してた。全くなれてなかったけどね。大体、そんな人存在し得ないし。

適当に働いて適当に遊んで、何にも考えてなかった。作家になりたいとだけは、ずっと思っていたのだけど相変わらず何か書くわけでもなくて。今の方がちゃんと毎日書いとるわ。

「ここではないどこか」に行きたかった私は、「どこにもいけなかった」という負目を感じつつ、世間に順応する事でそれから目を逸らしていた。「どこにもいけない」というのは真実だけど、世間に順応して生きる以外にも当然やり方はあったはずなのに、それを探しもせずにいたのは、順応がラクだったからだと思う。何も考えなくても良いというのはとてもラクだ。誰かが考えた価値基準にそって生きていれば、当然何も考えなくても済む。

私は学生時代を通して、とても素直な良い子だった。先生から怒られたこともない。気に入られていたと思うし、中学までは勉強なんてしなくてもまあまあ成績も良かった(田舎だからね)ので優等生と言えたと思う。高校になってからは、勉強しないと点が取れなくなって成績は悪かったけど、素直で真面目だから怒られない。勉強はしてないけど、校則を守って、宿題もちゃんと出す奴は進学校ではいないのと同じ。親や先生のいう事に反発しないで育ったので、誰かの基準に従うのは慣れ親しんだものだ。

そういう20代を過ごして、29歳になる年に結婚して30歳で出産した。それも、世間一般の当たり前を踏襲した。30になるまでに結婚し、1年以内に出産し…みたいな感じ、あるよね、あったよね、なのかな今は。もう1人子どもが産まれて、30代は子育てに専念した。

楽しかった。とにかく本当に小さな命を小学生まで無事に育てることは、大変な仕事だけど過ぎてしまうと、人生において一番輝いて幸せで充実して楽しい時間だったのだなぁと思う。子育てにおいてはまだまだ道半ばだけど、赤ちゃんのママでいられる時間は意外と短いもんだ。

小さな子を2人育てていても、5年くらい経つと割とラクになってくるのだが、その時から読書をする時間が増えた。家事育児をしていると細切れの時間しかないので、自分の時間を持つのに読書は一番適している。それまではほぼフィクションしか読んでこなかった私が、育児書をきっかけにその他の本も読むようになり、今では小説を読む機会が減っているほど。

その中で、今までの生き方を振り返るようになった。最初の頃はホリエモンなどのキャッチーな本を読み、いわゆるビジネス書・自己啓発書界隈を1周して落合陽一に出会い、WEEKLY OCHIAIから宮台真司にミメーシスし、最近私の中で熱いのは坂口恭平という感じである。

その以前から育児書を読むごとに「結局大事なのは親の生き方だ」と、どの本にも書いてある気がして、我が子の教育云々のまえに自分をなんとかしなくてはならんのではないかと思い、もがいている所に宮台真司と坂口恭平が現れ、冗談抜きで暗闇に光が射した気が本気でした。あのまま進んでたら鬱になったかもしれないと密かに思っている。

読書を再開して5年くらい。だから私は、自分の事を10代だと思う事にしている。物心ついて5年。生まれ変わって5年。今までの私から脱皮し始めて5年。

本来、このような自分がどう生きるか、何が自分にとって重要かみたいな問いは10代に考えるべき事だと思う。40手前の私には遅すぎる。人生の時間を浪費し過ぎたと思う。

だけど私はたぶん、まだまだ生きなくてはいけないわけで…。70歳まで生きたとしても、後30年もあるのだ。その時間をどう使うか。自分が楽しいと思う事をやりたいと思って試行錯誤している。

染みついた、誰かの価値基準に依るという思考はなかなか落ちてくれない。何が自分にとって楽しいかよりも、これは儲かるか?、役に立つか?、やる意味があるか?という思考がまず先に立つ。

今思い出したけど中学の時、先生から「将来どんな仕事をしたいの?」と聞かれて「人の役に立たない仕事」と答えた事があった。すると先生は「えー!なんで?それは泥棒とかしかないんじゃない?」と言ったんだけど、その時の軽い違和感。「人の役に立たない仕事」と言ったのは反抗期的な側面が大きかったと思うけど、「人の役に立たない仕事」が即、犯罪だというのも違うと感じた。その時は違和感の正体を言語化できていなかったけど。

子どもの頃の方が正しい感覚があるのかもしれない。それを長年かけて矯正してきたのか?ならば、学校とはなんぞや。世間様とはなんぞや。

とにかく私は、これから先の人生において、自分が楽しい事しかしないと決めた。何が楽しいか分からなくなっている自分を認めて、その理由もなんとなく分かった。

後は、リハビリと試行錯誤しかない。

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