「好きな事を好きにやる」のが難しいけど、できるようになりたい 6
前回からの続きで今日はパステル画について。今まで絵を描くことには全然興味が無くて、というか下手だから…と思っていたから。けど、坂口恭平さんの凄いところはそんな、全く絵を描こうとも思っていない私なんぞにも絵を描くという行動を起こさせるところ。ほんとスゴイ。
ネット配信で行われた、パステル画教室を見たら「なんか私にも描けるんじゃない?」って思って、さっそくダイソーパステルとmarumanのスケッチブック買ってきて、描いてみたら…「なにこれ…めっちゃ楽しい!」となり何枚か描いた。
とっても楽しい。下手だけど、楽しいから良い。でも、ダイソーパステルじゃあ色が足りなくて、坂口さんのようにシュミンケは無理だけど、ファーバーカステルを買おうかなとおもっている。売れるかどうか、意味があるかどうかなんて、考える必要がないと自由だ。自分が楽しいか楽しくないか。こんな簡単な事が分からないなんて今までどうかしてた。すこーしずつだけど、ガッチガチに固まっていた思考回路が流れて、体中に酸素が運ばれつつある気がする。
意味がないこと、役に立たないことをしてはいけない。って思ってたのはなんでだろう。この世に意味があるない、役に立つ立たないってあるのかな。自分では、生きる意味なんてものはないだろうと思っているのに、ましてやその行動において意味のあるなしなんかあるはずもないのに。やっぱり学校教育かな?それとも世間の同調圧力かな?自分のアタマで考えなさすぎだったのかな?バカなのかな?いやいや。自分を否定してはいけませんよ。
もう少し、自分が何を好きだったか、深く考えたくて、10代後半から20歳前後にかけて、好きなモノの解像度が上がってきていた時に何をしていたか、という事を自分なりに分析してみた。
当時はあんまり本を読んでいなかったので、映画と雑誌が私の情報源だった。ディカプリオが好きで、「バスケットボール・ダイアリー」からジム・キャロルを、「太陽と月に背いて」からアルチュール・ランボーを知り、「ロミオ&ジュリエット」からシェイクスピアの面白さに気づいた。「太陽と月に背いて」に至っては、英語の脚本まで買って一人で朗読してた。ディカプリオ様はタイタニックくらいから太ってきたけど、「ロミオ&ジュリエット」まではほっそりしていて、すごく美しいのだ。それに「ギルバート・グレイプ」を見たら演技力にぶったまげます、ホントに。おっと脱線…。
ジム・キャロルは70年代のN.Y.で過ごした10代の日々を日記にした、「マンハッタン少年日記」(邦題)を書いた人で、まあ内容は映画の通りなんだけど、13歳でこんな文章書けるって…。とにかく美しい詩のような日記。
それから高校生の時に宝島社から創刊された「FAMOUS」という雑誌。音楽雑誌なのだけど、当時は巨大フェスが色々始まった時で、フジロックとかね。その雑誌はヒッピーカルチャーを全面に押し出してた。そこで色んなロックバンドを知って、ヒッピーに憧れ、ライブにも行くようになって、すごく楽しかった。
映画も、色々見てたけど「白黒のやつばっか見るね」と友だちに言われるほど古いのが好きだった。当時好きだったのは「イージーライダー」かな(白黒じゃないけどW)。それから本としては浮谷東次郎の「がむしゃら1500キロ」、五木寛之の「青年は荒野を目指す」。ここらへんは、ロードムービー的な旅・漂白・放浪というものへの憧れがあふれていた。
それでキーワードでまとめると、詩・ロック・ロードムービー的・ヒッピーカルチャー・ビートニク・バックパッカー・漂泊・旅の踊り子・さすらい・フーテンの寅。
こんな感じ。とりあえず、このキーワードの周りにあるモノたちを調べてみることも並行していくつもり。畑と作文と手芸とパステルと…。忙しいな。
実は最近になって興味が出て調べているのが「サンカ」という存在なのだけど、それも定住しない、漂泊する人たちなので、私の興味は一貫しているらしい。
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