「好きな事を好きにやる」のが難しいけど、できるようになりたい3
20歳前後までは、やりたい事や興味のある事が色々あったことはわかった。それがいつの間にかなくなってしまって、テレビや雑誌からの情報や「こうあるべき」みたいな誰かの価値で生きるようになっていってしまったのだねえ。
それはどうしてだろう。うーん、どうしてだろうか。その分岐点である、20歳前後の時の事を思い出してみる。
私は高校を卒業して、地元の県立短大に入学。高校は進学校に通っていたけど、どうしても受験勉強を真面目にできなかった。圧倒的につまらなかった。周りはみんな頑張ってたよ。私はやってるふりしてやってなかったので、そのままの学力で入れる短大に行くしかなかった。
高校から、ロックを聴きはじめ、映画もよく見て、詩もたくさん書いて、戯曲も好きで良く読んだ。シェイクスピアも好き。まー勉強するヒマなんかなかった。
短大に入ったら、写真を撮ったり、アラーキーに憧れたり、バックパッカーになりたかったり。2年になっても就職活動はしなかった。友だちが地元の大手銀行に内定したり、県外出身の子は、実家の近くの会社に内定したりしていたけど、本当に気にならなかった。
面白くなさそうだと思っていた。なんで、そんなつまんなそうな会社に入るんだと本気で思っていたんだ…思い出した。
バックパッカーで世界を旅して、写真家になるか作家になるか映画を撮るか、何者かになれるって思っていたのかもしれない。たぶん、「ここではないどこか」に行きたくて、今の自分ではないもの・自分を変えてくれそうな「何か」に強く憧れていたのかもしれない。
と言いつつ、私が過ごしていた日常と言えば、毎日写真を撮るでも、毎日書くでも、バックパッカーの資金を貯めるでもなく、ただダラダラしていただけだった。だから在学中、時間はあったのに写真が撮れるようにもならなかったし、何かまとまった文が完成もしていないし、お金は使うばかりでほとんど残ってなかった。
卒業間際にあせった、おバカな私は短大に残っていたわずかな就職情報の中から適当に選んで就職した。バックパッカーの資金を貯めるためだと、自分に言い聞かせて。
通勤のために1人暮らしを始めて、経済的に自立はしたものの、とてもじゃないけどバックパッカーの資金を貯めるなんてできなかった。生活するのがやっとで、今みたいなおしゃれミニマリストではなく、ガチの「そうぜざるを得ない」ミニマリスト。
仕事は印刷業でimacでデザイン的な感じとか、チラシとかで結構楽しかったけど、何しろこの業界はブラックなので午前様もしょっちゅう。副業で資金を貯めるという気力も起きない程の激務だった。(だから、卒業間際まで残っていたんだよ。)
そんな感じで体調が最悪になり、とうとう食事を摂れなくなって退社。実家に戻った。体調は中々回復しなくて、いつの間にかバックパッカーの事は考えなくなってしまった。
今思えば、その時だったんだ。バックパッカーを諦めた時。それに向けて何か行動を起こさなかった自分が悪いのだけど、そこで諦める必要は全くなかったのだけど、もう無理だと思った私。その時に一緒に、写真も詩も他の事も諦めて、世間様の中で要領よく生きることに焦点を当てたのだと思う。
今でもたまに思う。あの時、どうにかして本気でバックパックで旅していたら…。旅に出たパラレルワールドの私は、今何をしているだろうか。