身近になった「死」とどう向きうか
皆さんは自分が死ぬことを考えたことがありますか?
コロナが流行り始めたこの1年ちょっとで、
どんな人も「死」について考えたんじゃないでしょうか?
コロナになったら死に目にも会えない。
コロナじゃなくても、入院患者さんへの面会はできない。
緊急事態宣言で、遠くにすむ両親、親戚には会えない。
うつしたら大変だから、祖母祖父には会えない。
そんな中で、もし、災害が起きたら?
あわずして離れ離れになってしまうのか?
これは仕方のないことなんでしょうか?
私は両親がもしコロナになって、病院が空いてなければ真っ先に看病にいきます。私は、両親をひとりぼっちに、隔離なんてさせません。どんなに非国民と言われようと私は、両親を孤独の中で死なせたくはありません。
両親だけじゃありません。
私の大切な人がひとりで病気と戦っているのなら、私は看病にいきます。
「今、日本人には死生観が問われている」
この1年間で私たちは、感染者を増やさないという全体主義的な刷り込みに翻弄されてしまって「本当に大切なこと」を見失ってしまっているんじゃないかと思います。
「死生観」もその一つです。
死は誰にでも訪れる平等の義務です。
その死に対して、なぜこんなにもネガティブなイメージが蔓延っているのか私には甚だ疑問です。
死ぬことが悪だから、死を呼び寄せる感染も悪、になってしまうんですね。
死ぬことを悪にしてしまったら、恐ろしく窮屈で、自分で自分の首を締めてしまっている事に、早く気がついて欲しいと思います。
感染することを悪してしまったら、この地球では生きづらくなってしまうことに、普通に気がついて欲しいと思います。
目に見えるもの、科学で証明されていることだけ、えらい人の言っていることだけに信頼を寄せてしまうと、生きることに彩がなくなってしまいます。
死ぬことは悪いことではありません。
私は、自分が死ぬことにはあまり理想を持っていません。
なんなら、どこかで急に砂になるみたいな消えるように死にたいなと思っています。
私が考える「死生観」は今のところ、大切な人をどう看取るか?
ってところです。
特に家族には、幸せな最期を用意してあげたいと思っています。
そのために、この全体主義的な思想に染まっている人たちを敵に回すことになっても良いという覚悟です。
皆さんにとって「死」とはどんな存在ですか?
良いとか悪いとかは、横に置いておいて、大切な人の最期の顔を思い浮かべてください。
そんなことを考え出したら
今の感染症対策を続けることは誰にとってメリットなのかな?
とか、何かおかしいかも?
って気になってくれたら
しめしめ と思っているかなっぺなのです。
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