確かなものが、もう、「五感で感じられる」「頭で理解できる」事だけって価値観は過去のはなし。
目で見えるもの。
耳で聞こえること。
手で触れるもの。
鼻で匂うもの。
頭で理解できること。
言葉にできること。
物質であること。
科学で証明できること。
こうい物や事を
『確かなもの』とか『常識』として扱ってきたけど、私たちの現実は科学や常識の範囲をとうに越えた事で溢れていて、
それは、五感では感じられない様な事で
そんな事が、どんどん起き始めてる。
と、私は頭ではない【何か】で理解、
認識していて、
その“科学的ではない”“非常識”は
むしろ私たちの「当たり前」になり過ぎていて
気がついてないだけなんだと思う。
簡単な例をあげると
私たちはテレパシーなんか既に使っていると思うし、
何らかのエネルギーで、何かを壊したり、治したり
そういう事は日常的にやっていて
でも、それを“意図して”使えてないだけ。
“意図して”使えると
それは「奇跡」って事になる。
「当たり前」と「奇跡」は同じ結果、同じ事象であっても、“意図して”いるかいないかで呼び方が変わってきちゃう。
それだけ。
でね、今は、「奇跡」が意図して使える世界にかわりつつある。
それは、自然なこと。
そもそも「常識」は
証明されている「科学」のほんの一部だ。
科学が常識として理解されているのは、
実用化されて汎用化されているものだけ。
そうやって一般的に使われている科学と、
一部の人にしか使うことを許されていない科学
は存在してる。
そして未知の科学も存在する。
未知というよりも、
資本主義の中で
利用価値の低いもの
もしくは
資本主義の邪魔になるものは
科学としてあえて証明はしない。
それだけ。
「科学」はお金で買える。
「常識」はお金で作られる。
それがこれまでの世界。
この世界にそろそろ終わりがくる。
それは自然なこと。
もう、充分楽しんだ。
次の世界に移る。
ただそれだけ。