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Tattoo (1)

*タイトルまんまのタトゥーの話なので、注意です* 

Tattoo、入れ墨である。実は『お揃いTattooを見せてグリーンカードを取得したでござる』というようなタイトルで私とアルゴが入籍し、私がグリーンカードを獲得した時のそんな阿呆な、みたいな話を書こうと思ったのだけど、タトゥーについての記述が長くなったため、こうして別ネタでタトゥーについて書いてみようと思った次第。

さて、タトゥーを入れている、入れたなどと言うと聞こえが悪いと思う。

日本でも最近ではかなりの数の人がファッションの一部として入れていることは知っているが、それでも聞こえが悪いことの方が大半であろう。ヤンキーだとか、輩だとか、やくざだとか、馬鹿だとか、阿呆だとか、とにかく聞こえは悪かろう。

実際、私はタトゥーを入れたことで、アメリカかぶれだの、親不孝だのさんざん、なじられ、アルゴとの交際の事も含めて、母親から10年ほど絶縁されている。母親の気持ちもわからなくはないが、彼女は人種差別者であるので、アルゴが黒人であり、私がタトゥーなぞを入れたのは、ろくでもない黒人彼氏の影響であると判断したためである。

アルゴに誘われたというのは事実。だがしかし。実のところ、アメリカかぶれしたわけではなく、アルゴの影響と言うわけでもなく、私は日本にいる頃から、否、正しくは、幼いころから入れ墨に猛烈で、強烈な、憧れを抱いていたことを母親は知らない。

ほぼ「憑りつかれていた」レベルであった。

大人になってから子供の頃、若いころのことを思い出して、「あの情熱は一体なんだったのだ」とか「よくあそこまでハマってたよねぇ」などと思うことはたくさんあると思う。ソレである。常軌を逸した勢いでの憧れであった。

なので、アルゴに揃いのタトゥーと入れようと言われた時は、お揃いかよ…うへぁ。変なマークとか、漢字とかは勘弁なぁ……てか、別れたらジョニーディップみたいやんけ(ジョニーディップは彼女の名前のタトゥーをあちこちに入れていたことで有名なのだ)と思ったけど、正直なとこ、しめしめ、という気持ちもあったのだ。

人はどれくらい過去の記憶というものを保持できるのであろうか。私はなぜか3歳ごろの記憶がいっぱいある。

その一つが、私が入れ墨(タトゥーではなく和彫りの墨である)を初めて目にした時のこと。父とその友人たちとその家族と温泉旅行に行った。幼かった私を風呂に連れて行ったのは父(なんせ私は赤子の頃から父にべったりだったのだ)で、父の友達の背中にあった入れ墨を目にしたのだ。もしかしたら私の記憶というのは、あとになって、大人たちから話を聞かされることによって、作られた記憶なのかもしれないが、その人の背中にあった桜と女の仏様の綺麗な色を覚えている。ペタペタとその背中を触りまくったことも覚えている。どんな温泉、浴槽だったか(大理石の作りで薄茶色の濁ったお湯だった)とまでも覚えている。

それが最初。後から聞いた話、その人は父の古い友人、幼馴染のような人で、やくざの人だったらしいがそこは父が言葉を濁したため、詳細は不明である。大人になってから父に聞いてみたところ、「覚えてたんか!そうそう、あいつには入れ墨あったなぁ、全身の」と言っていたので確かな記憶である。

その後、年頃になり、中2病をこじらせ、谷崎潤一郎の「刺青」を熟読、愛読し、さらにうっかりビジュアル系なぞにハマった。いっぱいいましたもの、タトゥー入れてるV系の人たち。漫画Black Jackの入れ墨の男の話なぞも大層、興奮して読んだものである。そして当時、「個性的なファッション」を大きなウリにしていた雑誌CUTIEなぞのタトゥー特集をみるにつけ私のタトゥー熱は高まりっぱなしであった。(CUTIEって今もあるのかしら。当時のCUTIEについての説明はこちらWiki

ヴィジュアル系の雑誌からCUTIE、漫画や映画雑誌まで、ありとあらゆる雑誌から、気に入った、素敵だな、と思ったタトゥーや入れ墨の写真や記事をスクラップブックにして後生、大事にしていたほどである。

ちなみに私はこのようなスクラップブックを何種類か制作していた。タトゥー本の他には、小説や詩などの気になったフレーズや文章を集めたもの、好きなアーティスト(V系である)の切り抜きを集めたもの-こちらは保存用と布教用として2部用意。そして心理学や哲学など学術的な理論をまとめた記事や論文を集めたもの、自分の感想コメントなぞ書いていた。

多分、これらの「黒歴史」的なスクラップブックは捨てられていなければ実家のどこかにあるはずである。まったくもって、あの頃の異様な情熱と熱心さを学業に向けていれば、私はきっとものすごくいい大学にいけたと思う。残念至極なお話である。

タトゥー熱の高まりは大学で東京に出てからも続く。私の世代の人、あるある、かもしれないのだが(40~50代)ヴィジュアル系にハマった後、メロコア、スカパンなどと呼ばれていたパンクの方に流れた。大学では軽音部的な活動をし、パンク系のライブなぞに行き倒した。バンドをやっている人だとか、お客さんだとか、周りはもうタトゥー三昧である。しかし、どんなにタトゥー熱が高まっても、実家から離れているにしても、うちはやたらと厳格な家庭だったので実際に入れることはなかった。

そんな経緯があるので、実際に入れた後、アメリカかぶれだとか、アルゴの悪い影響だの言われてもしょうがない。だって日本にいるときは入れてなかったわけだし。

今でこそ、背中全面、腕とありとあらゆるところにタトゥーを入れているアルゴであるが、最初に入れたタトゥーは、私とお揃い。しかもアルゴ友人にタトゥーアーティストがおり(最近、アルゴが大都会でばったり会った昔のご近所さんのルームメイト)無料だったのである。

「一緒に『初めて』を体験したい」

ギャーーー!!(と、実際、私は叫んだ)当時は、付き合い始めたばかりで、大層な盛り上がりの時期である。そもそものタトゥーに対するどうしようもない憧憬に加えて、大好きな彼氏からのお誘い@20代前半。そりゃ盛り上がる。実家も遠い、ばれることはなかろう(浅はか)。

で、入れたんである。

人はそれを「若気の至り」というのかもしれないが、私はちっとも後悔していないので、あえて言うなら、若さゆえ……というところであろうか。

『あなたの名前、謎の漢字、あなたの顔や誕生日や記念日の日付を入れるのであれば絶対にごめんである。なので、他のカップルとは違う、我々独自の何かイカしたものを考えよ』そう言ったところ、アルゴは数日悩んで、2行の短い詩を持ってきた。

if I could give the world my love, 
I would swallow all they hate

よくよく考えてみれば、彼氏作の詩をタトゥーにするなんてある意味、謎漢字のお揃いタトゥーだとか、互いの名前だとか、顔とか、誕生日とか、そんなもんより、かなりの中2病である。別れちゃったらどうすんのよ、別れた男の作った詩とか!と思うけど、私は腰にいれるから、自分では見えないからまぁ別れても気にならんだろ、たぶん。そう思ったのだ。浅はかと言えば浅はかな話だ。でもこの詩がとても気に入ったのである。直訳すると、

もし私が世界に愛を与えることができれば、私は世間にあふれるあらゆる憎悪を飲み込むことでしょう。

なんというか、こう、憎しみだとか嫌悪とか、そんなもんを飲み込む。だから愛にあふれた世界で生きていきたいね、というか、そういう愛を振りまいていきたいものだよ、的な。憎むよりも愛して生きたい的な。

「君と一緒に、こういう風に生きていきたい」

今の私なら、ブヒヒヒ……と笑うところであるが、なんせ20代なのだ。ギャーーー!!ギャーーー!!ギャーーー!!とアルゴのスバダリ発言(スーパーダーリン)を叫んで了承した。アルゴは左の肩、私は腰、ちょうどウェストのあたりにこの言葉を彫ってもらったのである。付き合い始めて2年目の事であった。

当時は20年も一緒にいるなんて思っていなかったけれど、まぁ、その言葉の通り(トンデモなことも多いけども)、二人そろってこのように生きているわけであるので、件の漫画Black Jackの入れ墨の男の話ではないが、死んだらそこの部分だけでも残して、鞣して額にでも入れればいいよ、とはアルゴにいってある。ゴールデンカムイ(漫画)ではないが、そういうのも悪くない。

ちなみに、私は冗談のつもりでそう言ったのだが、最近になって、アメリカには実際にそのようなサービスを行っているところがあると知って、驚いた次第。

(続)






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