ユートピア
多分、これからも頻繁に私から出てくる言葉が
『赤羽』だ。
私は、魂を売っていると言って間違いじゃないほどエレファントカシマシ及び宮本浩次大先生を尊敬している。
その話についても、追々記していくとして、
とにかく彼らが赤羽出身(高緑さんは月島だけど)だからと、暮らし始めた。
コロナ禍に陥るまでの約3年を赤羽で生活をしていた。
それまでは、本蓮沼、八幡山、新中野辺りに住んだりもしていたわけだが、タイミングが合ったので
この際には赤羽だろうと越した。
赤羽は、飲み屋街側と住宅ゾーン側と別れていて
同じ街でも違った場所にいるような感覚で楽しく不便なことといえば、映画館がないことくらいで
それ以外は、まるでユートピアだった。
一方で、危険を孕んだ街の風情も垣間見ることがあり、テレビでも度々、その危うさは全国でも周知されている。
私は東北の田舎街に戻ってきて職業訓練学校に通っていたのだが、そこに集う人たちは私も含め就職活動をしなくてはならない身にあり、中には上京を志す人もいた。
そんな中で、聞こえてきたのが
「東京に行ったらどこに住もう?」
「赤羽ってとこが、便利らしいって聞いたんだけど」
「赤羽は危険だよ!! よく街頭インタビューでよく危ない感じの人がいるじゃん」
「確かに...」
「それに、ほぼ埼玉じゃん」
という会話だ。
この会話はいわゆるテンプレート会話であって、
赤羽テンプレートと名付けているのだが
今までにも何度も耳にしてきた。
赤羽の本質を知らぬまま、強烈な客観的イメージが独り歩きする。
そのこともあり、更に赤羽の価値というものは
格下げされていくのかもしれない。
そんな赤羽テンプレート流れの中、
「そういえば、都内に住んでたんですよね?」と質問されたことがあった。
私は、返事も飛ばすように
「赤羽です」と堂々と返した。
会話を交わす周りの人たちから、
「あっ...」と自分の体の中で響くだけの声がしたような表情が見えた。
「どうして、赤羽に住んでたんですか?」
と返す強者に
「憧れの街だったからです」
と答える私はもっと強者だった。
そんな、赤羽を私はこれからもユートピアとして愛していくつもりだ。
と、いうのを先日に久々訪れた赤羽で感じたのだった。
それにしても、赤羽の名物をキーホルダーにした
赤羽ガチャは最高です。
イトーヨーカドー赤羽店にて。