シリーズ「霊の中に生きる」 No.7人の霊(7) ⑧
シリーズ「霊の中に生きる」 No.7
人の霊(7) ⑧
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
●ヨハネの福音書15章から「いのちのしるし」としてイェシュアが弟子たちに語っておられる三つのことばを選び、それについて考えてみましょう。
今回はその3です。
(3)
満ち溢れる<喜び>・・・「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、・・・」
(ヨハネ15章11節)
いのちのしるしの第三は、「満ち溢れる喜び」です。
「満ち溢れる喜び」こそ、「霊の中に生きる」すべての人に、例外なく約束されているものです。
それは“御座のキリストを経験すること”です。
21:1
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り、
海もなくなってしまった。
21:2
また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3
また、“御座”から大きな声が叫ぶのを聞いた、
「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
ヨハネによる黙示録21章1節〜4節
弟子たち七十二人が伝道の旅から喜んで帰って来ました。
主イェシュアの権威を帯びて、主イェシュアと同様の御業を現し、御国の栄光を現し「大成功」だったからです。
「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」と彼らは有頂天でした。
そのときイェシュアは弟子たちに、「ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10章17~20節)と言われました。
「あなたがたの名が天に書き記される」とはどういうことでしょうか。
それは「たとえ地上で大事なものを失っても、ゆるがない喜びと安心を持てること」です。
決して見離され、見捨てられることがないという安心、たとえ、自分の父、母が私を見捨てたとしても、神は私を見捨てないという安心感、それは、神(父)とのゆるぎない信頼関係を持つことによってのみ与えられる喜びです。
27:8
あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。
あなたにむかって、わたしの心は言います、
「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。
27:9
み顔をわたしに隠さないでください。
怒ってあなたのしもべを退けないでください。
あなたはわたしの助けです。
わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。
27:10
たとい父母がわたしを捨てても、
主がわたしを迎えられるでしょう。
詩篇27篇8節〜10節
たとえ地上のものを失っても、
ゆるがないものによって
支えられていることを喜ぶこと。
それは親しい神との交わりから来るものです。
それは「聖霊による喜び」という
言い方もされます。
ちなみに、
「天に」とは
「神に」ということばと
同義です。
あなたの名が神の心に書き記されているということは、いつもあなたのことを忘れることなく、心に留め、かかわり続けてくださっているということを意味します。
そして神の子どもとして
特別に扱ってくださるということです。
27:4
わたしは一つの事を主に願った、
わたしはそれを求める。
わたしの生きるかぎり、
主の家に住んで、
主のうるわしきを見、
その宮で尋ねきわめることを。
27:5
それは主が悩みの日に、
その仮屋のうちにわたしを潜ませ、
その幕屋の奥にわたしを隠し、
岩の上にわたしを高く置かれるからである。
27:6
今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。
それゆえ、
わたしは主の幕屋で喜びの声をあげて、
いけにえをささげ、
歌って、
主をほめたたえるであろう。
27:7
主よ、
わたしが声をあげて呼ばわるとき、
聞いて、
わたしをあわれみ、
わたしに答えてください。
詩篇27篇4節〜7節
主イェシュアは言う、
それは、
「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、、」
ヨハネ15章11節