ノスタルジックな世界に浸りたい
歴史が好きなのだ。
いや、思い出が好きなのだ。
日本史が好きすぎて歴史の大学に進学したし、就職してから子どもが出来るまで毎年京都に旅行に行くくらい、歴史が好きなのだ。
過去の人々の生活に想いを巡らせ、当時を思い馳せることに、たまらなくエクスタシーを感じていた。
中でも好きなのは路地裏散策だ。
昭和の香りがただよう、狭く細く生活音が聞こえる路地が大好きだ。
人1人が通るのがやっとな道を、その両隣には木造の家々が連なる。玄関には職人が貼ったタイルなんかあると最高だし、道には其々の育てている園芸のお花が咲いている。お花はプランターではなく発泡スチロールで育ててあったらなお風情をかんじる。隣の家との境は塀一枚で区切られて窓を開けると
あら、こんにちは。
そんな集落を歩いてみたい。
夕暮れ時の、どこのお宅も夕飯の仕度を始めるころの包丁の音。買い物に行こうとする玄関の引き戸を開く音。
帰っておいで!
と子を呼ぶ声。
そして、辺りが群青に染まり家々には灯りが燈り、街灯がぼんやりと路地を照らし出す。
私は孤独を欲しているが、それ以上に人との繋がりを望んでいる。
明らかな矛盾であるが、狭く暗い路地裏で人の温もりを感じたいのだ。
人の息遣いを堪らなく欲しているのだ。
私には愛する家族がいて正に生活に追われながら今、生きている。
そのしがらみから逃れたいが為の現実逃避がノスタルジックに浸ることなのだろう。
決して、今の現状を疎んでいるわけではない。
むしろ、幸せなのだ。
幸せだからこそ無いものを強請るのだろう。
人とはとても貪欲だ。
ノスタルジーを感じたい時、それは幸せを感じているときなのかもしれない。