忠臣蔵 後編

泉岳寺で赤穂義士の墓所を参拝することになった私は、先ずは殿様の墓前に線香を手向けるべきだと思い、浅野内匠頭のお墓に足を進めました。浅野内匠頭のお墓は四十七士のお墓とは違って、やはり大名の墓というだけあって立派なものでした。浅野内匠頭のお墓を参拝して、さてそこから全員のお墓参りは大変なのでとりあえず内匠頭夫人の瑶泉院、そして大石内蔵助父子と最後に堀部安兵衛のお墓にそれぞれ参拝して線香を手向けました。堀部安兵衛は酒好きということで知られているからかお墓には日本酒のパックがいくつかお供えされていました。前回、両親が忠臣蔵の配役の俳優について批判していたという話を書きましたが、私の場合は忠臣蔵の配役はNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」が最も印象に残っていてそれぞれ相応しい配役と思っていました。元禄繚乱は1999年に放映されていますのでそれも20年以上も前のことでそんなに昔だったのかと少し驚き年齢を感じます。そんなわけで浅野内匠頭は東山紀之さん、瑶泉院は宮沢りえさん、大石内蔵助は中村勘九郎さん、堀部安兵衛は阿部寛さん、といった感じでそれぞれ当時演じていた俳優の顔を思い浮かべながら参拝していました。墓参りを終えて何となく満足感を得て、受付に戻って御朱印を頂いた御朱印帳を受け取りました。さて、私が赤穂義士のお墓参りをしたのはたまたま泉岳寺に行って御朱印を貰うのに待ち時間が余ったからで、そもそもそこに浅野内匠頭とは別に赤穂義士のお墓もあることは知らずに成り行きで行ったものです。しかし私はそれ以降、時折泉岳寺の赤穂義士のお墓の様子が心に浮かんでは何故か凄い感動を覚えていました。何故だろうか、よくわかりませんが赤穂義士のお墓が立ち並んだ情景を思い出して猛烈な感動を覚えていたのです。そんな感じで何気に赤穂義士の墓所をよく思い出すようになって、また行きたいと思うようになりました。それで暫くして今度は娘を連れて泉岳寺に行きました。同じように赤穂義士の墓所に線香を手向けましたが何故かそれ以降は赤穂義士の墓所が心に浮かぶようなことは無くなりました。最初に私1人で行ったとき、2度目に娘と行ったときにも泉岳寺は閑散としていました。人がほとんど居ない、参拝者は2~3人とかいった感じで赤穂義士も時代が変わって忘れ去られた存在なのかと思っていました。それからまた暫くして、12月に東京の寺社をいくつか回る御朱印巡りに行ったときに3度目となる泉岳寺にまた行きました。そのときには、やはり12月は赤穂義士の月だと実感できました。前々回、前回とがら空きだったのが嘘のように大混雑状態で、御朱印を頼むと2時間待ちとか言われて諦めました。赤穂義士の墓所に行くにも大変な行列になっていてこちらも相当に時間が掛かりそうで諦めざるを得ませんでした。たまたまお祭りがある時期と重なったようではありましたが、ともあれ未だ赤穂義士の人気は未だ健在のようで安心しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?