![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160639685/rectangle_large_type_2_b107effe850ce7747b3daef6d707d24f.jpeg?width=1200)
雲Nubes_2016.3.26
noteで雲の写真集『雲Nubes』をつくっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1730759740-uMADd5VtZny2vYSPLz4p9RaF.jpg?width=1200)
群馬県藤岡市
![](https://assets.st-note.com/img/1730759773-pMlYrHWz9jLuGeOZJh4Qwc5s.jpg?width=1200)
群馬県藤岡市
▼雲はわたしたちの大好きな太陽を、しかも雲にとっては自分を空へ昇らせてくれた熱源である太陽を覆い隠してしまうかもしれないが、考えようによっては太陽を見せてくれもする。層雲という薄い雲の層のおかげで、わたしたちは目を痛めずに太陽を直接見ることができる。雲はぼかすことによって光を見せてくれるのだ。
▼この矛盾した話は、中世のとあるキリスト教神秘主義者によって『不知の雲』という書のなかで美しく語られている。(……)『不知の雲』の著者は、雲のイメージを利用して神が不可知であることを説こうとした。(……)雲はキリスト教とにとって苦悩――障害、邪魔物――であり、太陽をさえぎるがごとく神を信者に近づけない。その事実に抗うよりも、それを受け入れるほうがよいのだと(この著者は)助言する。そうすればこそ、理性による思考ではない別のすべてによって神を知る径が開けるかもしれないのだ、と。(……)理解に限界があることを受け入れ、不知によって神を知れ、と。
——ギャヴィン・プレイター=ピニー『「雲」の楽しみ方』桃井緑美子(るみこ)訳、河出文庫、2017年1月20日 初版発行