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《若林奮 森のはずれ》展

この文章は、昨年7月1日(土)、青森在住の友人で、詩人・SSW(singer-songwriter)の川畑battie克行さんと東京で落ち合い、武蔵野美術大学鷹の台キャンパスの美術館で開催されていた《若林奮 森のはずれ》展を観覧した際のルポ風の記録です。30年以上前に結成したArt Club「ブレスコンテンポラール」の会報『魴鮄』の名にちなみ、こうした二人でのArt鑑賞のことを「DUO HOBO」と呼んでいる。今年の「DUO HOBO」は東京国立博物館で開催された「内藤礼 生まれておいで/生きておいで」展だった。


展覧会チラシ(表)


展覧会チラシ(裏)


20代から30代初めの10年間、東京に住んでいたのに、初めて降り立つ中央線国分寺駅。ここで川畑氏と朝、待ち合わせて、バスで武蔵野美術大学鷹の台キャンパスへ。途中、津田塾大学を通る。

終点下車、小雨。開館の10時までまだ15分ほどある。美術館・図書館を前にして左手に奇妙な建物。4号館キャンパスといい、油絵学科のアトリエがあるらしい。パン屋さんが営業されている。長身の女子学生がパン屋さんへ。ツナギの上を腰に下ろし、絵具の飛沫だらけの男子学生がベンチに横たわる。徹夜したのかな。


武蔵野美術大学 美術館のエントランス


会場マップ

いよいよ入館。まずは「アトリウム1」という展示空間へ。硬い雰囲気。空気の流れが止まった感じ。ちょうど目線の高さほどもある縦長の鉄の直方体が数体、整然と配列されている。川畑氏が展示作品解説書の在り処を教えてくれる。鉄の直方体の塊と思えた物体は、上から覗き込むと鉄の箱のようで、入口側に配置された4体(会場マップのNo.20~23)の上部は格子状に仕切られて、中が白くペイントされている。「展示室2」側に直列された6体(No.18・16・24・17・19・25)の鉄箱を覗き込むと、幾本かの突起があり、朱色にペイントされている。先端が白いものも。何を表わそうとしているのか。2階へ昇るスロープのところで、これらの作品が《Daisy》(1993)と名づけられていることを川畑氏に示唆され、そうか鉄の花か、あの突起は「蕊」なんだな、と思う。入口側にあった4体、あの方眼に区切られて白くペイントされたものはなんだろう。花びら? 鉄の塊の中に咲く白い雛菊。これらずっしりと重量感のある立方体の鉄の彫刻から、容易には“Daisy”が連想できないが、鉄の塊が〈花〉を胚胎しているということか?


入口側の4体。内部が格子状に区切られて白くペイントされている。


直列に並ぶ6体のうちのひとつ。内部に突起があり、朱色や白にペイントされている。


2階へのスロープを戻り、「展示室2」は、若林さんの代表作の一つと言える《所有・雰囲気・振動——森のはずれ》(1981-84、DaisyやThe First White Coreより10年以上前の作品)。実に30年ぶりの展示だという。「森のはずれ」に、このような木と鉄を鉛で被覆したような小屋が建っているのか。「小屋じゃないね」と川畑氏は言う。確かに天井がないから小屋ではないか。だとすれば「森のはずれ」に設置されたある種の閉域。そこには雰囲気と振動が稠密に封印されつつも、開いた扉から草熱れのようにその雰囲気と振動とを周囲の「森のはずれ」に溢れ出させてもいる。「所有」とはこの「森のはずれ」に佇んで、雰囲気と振動の草熱れにまみれることか。観る者にとって、ここでの「所有」とは「する」ではなく「される」こと? この「森のはずれ」の雰囲気と振動の中に佇む私は、この場に「所有されて」在る。閉域とその外とに分裂されて。草熱れに汗をかいて。


《所有・雰囲気・振動――森のはずれ》(1981-84)


「アトリウム1」から階段を昇り、2階「アトリウム2」へ。《The First White Core》(1992、《Daisy》の前年)と題された作品群。若林さんにとって、鉄とともに重要な素材、硫黄が使用されている。さらに木と銅と石膏も。《初めの白い核》とは石膏の塊のことか。そこに硫黄や鉄錆が滲み込んでいる。自然界における物質の相互作用による生成変化や腐蝕、侵蝕。あらゆる物質が絶えず微細に振動を繰り返し、混じり合う。▼「振動を把握することは、全ての物理現象の核を摑むことである。森羅万象、およそ命あるものは、必ず振動が内在している」(吉田武『たくましい数学』より)。「命あるもの」に限らず、あらゆる物質は振動を秘めている。この微細な振動に、私の振動を同期させること。この場に「所有されて」在るように。私も木と石膏と銅と鉄の鬩ぎ合う一個の物体——。


《The First White Core III》(1992年)


「展示室4」へ。30年ぶりに梱包を解かれた《所有・雰囲気・振動——森のはずれ》の復元課程がビデオに収録されている。梱包されていた個々のパーツが開封される。木材に特殊な接着剤で固定されていたためか、無残に劣化した鉛が剝れ溶けている。気の遠くなるような復元作業。芸術作品にとって「時間」とは何か。現に今、展示されている作品だけが作品ではない。そこには膨大な「時間」と「手の痕」、作家本人とは違う人々の「時間」と「手の痕」も滲み込んでいる。


「展示室5」。《振動尺》(1979)。若林さんの原基(原器)とも言われる作品。見るのは2度目、3度目? 「尺」とは長さの単位だが、ここでは「物差し」という意味か。「振動を測る物差し」。「振動を測る」ために、「振動尺」は絶えず伸縮し、「振動」していなければならない——。

「展示室6」。ドローイングや写真、ノートなど夥しい資料。若林さんの文章を読んでいた川畑氏曰く、「言葉が不自由な人みたい」。その通りかもしれない。若林さんの文章は、「言語の不自由さ、不器用さ、不(確)実さ、不(完)全さ」そのものを体現しているのではないだろうか。それは「読解不可能」であり、「詩」に繋がるのではないか——。もうかなり疲れてしまい、ノートやメモ、スケッチ(新聞広告の裏に描かれたものもあった)など貴重な資料のひとつひとつに目を通すことがかなわず残念。

もう一つの展示《絵画のABCD(アベセデール)》——ほとんど疲弊して、流し見になってしまう。ジャスパー・ジョーンズと宇佐美圭司の作品があった。「Vague(波)」のコーナーにあった、丸山直文のヨット(?)を描いたリトグラフの対照的な2枚に惹かれる。

やれやれ、学食に腰をおろして昼食。土曜日なのにけっこう学生が。女学生が目立つ。冷やしたぬきそば350円。バスで再び国分寺駅へ。この日のメインは、国立新美術館で開催中の蔡國強の大規模展覧会《宇宙遊―〈原初火球〉から始まる》だった。これについては別稿にて。

若林奮という稀有な彫刻家の名前を初めて知ったのは、20歳の頃に巡り合った『宮川淳著作集 I』でだった。初めて観た作品は彫刻ではなく版画。その頃のことについては、いずれ改めて書きたい。


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