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稲川方人『償われた者の伝記のために』


稲川方人詩集
『償われた者の伝記のために』
書紀書林、1976年、函表


同詩集 函裏

1977年、44歳で夭逝された宮川淳さんの著書に心酔した20歳の私は、1980年代に現代詩、現代思想、現代美術に急速に傾倒し、『現代詩手帖』『現代思想』『ユリイカ』『美術手帖』『みづゑ』などの雑誌を購読しはじめた。その頃、現代詩の分野で活躍されていたのが、荒川洋治さん、平出隆さん、稲川方人さんの三人。荒川洋治さんには現代詩文庫(思潮社、1981年)があり、それを購入。『娼婦論』や『水駅』などの単行本は既に書店では見つけられなかった。20歳から上池袋のアパートに住んでいたので、頻繁に立ち寄った池袋西武の「ぽえむ・ぱろうる」で、平出隆さんの『胡桃の戦意のために』(思潮社、1982年)を購入した。稲川方人さんの『償われた者の伝記のために』(書紀書林、1976年)は「ぽえむ・ぱろうる」にも既に在庫はなく、池袋東口の芳林堂書店ビルの最上階にあり、詩集を豊富に扱われていた古書店「高野書店」にもなく、神田古書店街でも、早稲田の古書店街でも見つけられなかった。どうしても読みたかったので、図書館で見つけた新鋭詩人シリーズ7『稲川方人詩集』(思潮社、1979年)を借り出し、全ページをコピーし、『償われた者の伝記のために』とその他の未刊詩集とに分けて、2冊の手製本にして持ち歩いた。

ある日、小豆島旅行を思い立ち、姫路からだっただろうか、小豆島へ向かうフェリーのデッキでもその本を開いていると、デッキの出入り口に貼られた大きな深緑色のポスターが目に入り、近づくと「寒霞渓」のポスターだった。この詩の中には「寒霞渓」という言葉があったはず。

(カンカケイをゆく
そうせよと命ぜられて)

鳥肌が立った。「寒霞渓」が小豆島にあることも私は知らなかった。小豆島への旅行はこの詩集に導かれたのかもしれない。(寒霞渓をゆく/そうせよと命ぜられて)。翌日の観光バスはもちろん寒霞渓にも立ち寄り、ロープウェイで渓谷を下った。バスガイドさんの「滞在時間が短いので、ロープウェイで降りたら、往復便でお戻りください」という注意を無視し、私は1本遅らせ、渓谷を歩いた。バスに戻ると、若干、出発時刻を過ぎたのか、乗客の皆さんから冷たい視線を浴びせられた。

2006年12月中旬に開催された思潮社50周年記念「現代詩新人賞」授賞式で、選考委員の吉増剛造さん、平田俊子さん、城戸朱里さん、野村喜和夫さん、稲川方人さんのスピーチと、受賞者の挨拶のあと、稲川さんと少しだけ話す機会があり、新鋭詩人シリーズをコピーした『償われた者の伝記のために』の手製本を持って、小豆島を訪ねた旨をお話しした。授賞式を終えて、私たち家族の帰り際に、稲川さんは、まだ小学校低学年だった息子の頭を撫でて、「パパの詩、すごいね」とおっしゃった。息子が「うん」とこっくりうなずいたのはなんとも嬉しかった。

翌日は家族で、12月のディズニー・シーを楽しんだ。息子は迷子になりかけたが、半泣きの状態でなんとかすぐに見つかった。

それからしばらくして、稲川さんから大型の封筒が届けられ、どきどきしながら開封すると、私にとっては憧れつづけた幻の詩集『償われた者の伝記のために』が入っていた。「30年前の詩集、汚れたものですが、出てきましたので、どうぞ。」というお手紙とともに。嬉しさで涙がでそうだった。稲川さん、ありがとうございました。いまでも大切にしています。息子もはや25歳となり、この詩集をはじめ、稲川さんの詩集を拝読しています。

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