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劇場へは狭く急な階段を地下へ降りた

これは20代前半に書いた文書。もっと長く書き継ぎたいと思いながら、できずに、尻切れトンボで恥ずかしいが、noteに記録として残しておこう。写真は、30代後半に、QuarkXPressで入力し、プリントアウトしたもの。



劇場へは狭く急な階段を地下へ降りた


コンクリートの床にパイプ椅子が20脚たらず、無造作に置かれていた。夏の湿気が飽和していた。空調が機能していない。セメントの蒸せる臭いがした。襖3枚分ほどのスクリーン。観客はふたりきりだった。

いきなり激しい暴風雨の音響と黒く暴れる映像がはじまる。鉛色にうねる海に鋭い入射角で、鉄棒の雨が間断なく突き刺さる。カメラがガタガタと揺さぶられて、やがて音だけが消えてゆく。

ザザッとした干渉縞が一瞬入り、次には突然、圧倒的な空の青が画面を覆う。分厚く塗りこめられた油絵具の青。カメラがわずかにぶれながら徐々に手前に引かれ、やがて植物の群落に焦点を合わせる。葉の濃い緑と細かく密生する花の白。ハマボウフウ。陽射しが眩しい。むこうの岬へと松林がくねり、その先に灯台の小さな円塔がとろけかけた砂糖菓子のように輪郭を揺らしている。海はすっかり凪いでいる。

セメント臭に蒸されながら、暴風雨と灼熱の疑似体験は、軽い拷問だった。横目でNさんを窺う。腕を組み脚を組んでパイプ椅子に斜に腰かけ、Nさんは、黒縁眼鏡の渦の奥で眼を細め、すこし笑っているようだ。

Nさんにはじめて会ったのは、書籍取次会社での日雇い仕事でだった。朝8時から夕方5時まで、鼠色の薄暗いビルの中に缶詰めになった。朝礼の後、廊下で、決まってラジオ体操を音楽に遅れてけだるくなぞったので、体をほぐすというよりもかえってだらけた。

廊下の扉を開けて中へ入れば、そこは巨大な工場だった。巡回するベルトコンベアとリフトに運搬されてくる粘土の塊が本だった。県名か市名と書店名が書かれた附票を本はくわえていて、コンベアから特定の附票をくわえた本を取り上げ、同じ表示の棚へと暫定的に移すのが仕事だった。重かった。「『本』は羽をたたんだ『鳥』のようだ」と、ある本の帯に読んでいたが、工場ではその羽は積み重ねられ、固まった粘土塊と化していた。ベルトコンベアと棚との間を、日に何度往復したろう。日雇い仕事の2週間、どの本も、掌の中から一度も羽ばたきはしなかった。

午前10時に10分の休憩。廊下の喫煙場所で煙草を吸う。はじめてNさんと挨拶したのはそのときだった。「中上健次の『鳳仙花』、読んだ?」。出す前にもう一度ふくみ呑んでから、ふたたびこぼれるような声だった。読んでいなかった。

松林の砂浜。砂の上に落ちた松葉が、楔形文字のように羅列している。すると、画面の左上から、1匹の蜂が、縞模様の蜘蛛を曳いて現れた。稚拙な手書きのキャプションが「キオビベッコウバチ」と右下隅に入る。蜂は蜘蛛の胸を銜え、後ずさりに画面中央で大写しになった。Nさんが脚を組み替える。

蜂の、黒ビニールの縁取りのある飴色の翅、黒地に黄の帯を巻く工事現場の腹と、やはり黒と黄の蜘蛛の縞模様。「ナガコガネグモ」と、今度は活字のゴシック体。蜂はせわしなく周囲に触覚を震わせ、怯えに堪えているようにも見える。いったいなにがはじまるのか。Nさんが空咳をする。

Nさんはいつも傷だらけの保安靴を履いて(爪先の革が傷んで、錆びた鉄が僅かに覗いていた)、臙脂の長袖シャツに、兄貴譲りだという銀鼠の細い縦縞の入った薄手の黒い上着をはおっていた。下も上とお揃いだった。夏も冬も。Nさんは大学卒業間際に中退したのだという。国文学科の仲間と制作した同人誌の冒頭に掲げられたNさんの「序説」という長文の散文詩を読ませてもらった。ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオの『物質的恍惚』のようだった。Nさんにはいろいろなことを教わった。ジョン・ケージのsilenceには音が充満していること、ジャズは瞬間、瞬間の自由であること、fauvisme=野獣派の絵画は視覚の解放であること、中上健次の路地のこと……。ジャズ喫茶で小瓶のビールを飲んだ。トースト食べ放題の喫茶店で、夜通し、ナプキンに万年筆で連詩を書いた……。

蜂と蜘蛛の工事現場の、あのあとのなりゆきはおぼえがない。Nさんはもういない。



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