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生産性を上げることは誰かの報酬を奪うことなのか

会社員を辞めてカナダでWebアプリケーション開発の勉強をしているKanです。
会社員時代から今も引き続き
生産性を上げたい、業務を簡単にしたい、楽にしたい、早く終わらせたい
という思いを持ち続けている。

最初の記事にも似たようなことを一部書いている

手間=お金?

どうしてそんなに手間をかけてやってるのか
と他人の仕事ぶりを見て腹が立つこともある。この場合、難しいことを言っているのではない。むしろ簡単になる手立てがあるのになぜそれを実践しないのかと、混乱にも近い感情を覚える。

実は今、ある業務の仕事を行っているのだか
「このやり方だったら何十倍も終わるのが早くなりますが」と伝えると…

それは私たち業務担当の範囲外の仕事だからやらなくていい。今まで通りの手順でやってほしい。

といった内容の回答だった。
面倒なことがなくなって何十倍も早く終わるのに…?それをやらなくていいとはどういうこと…?
ただそこで思い出したのだが、この業務をやっている間は時給だ。手間をかけて面倒な作業をやる方が個人は儲かるのだ。もちろん私もその中の一人だ。
「めんどくさいな」と思いながらでも、時間をかければかけるだけお金がもらえるのだ。

お金は欲しい。
今年の目標は「稼ぐ」だ。

だがその稼ぎ方は私の意に反しているし、こんなことをやっている自分が恥ずかしいと思ってしまう部分もある。

改善好きウーマン

思えば会社員時代、大幅に業務改善を行ってきた。
システムを構築し(エクセルやスプレッドシート、フォーム程度だが)、新しい方法で業務にあたってもらえるようにマニュアルを作成しレクチャーを行い、軌道に乗せた。
私は満足だった。その後のデータ集計もやりやすい。会社の経費も減って、全体の生産性が上がって、Win-Winではないか。

ただ本当に、全員にとってWin-Winだったかどうかは分からない。

正しいことって結局何なのか

稼働時間が減って収入が減った人がいたのではないか?
その人にとって、この改善は「改善」とは言わないのではないか…?

ビジネスを行う上で、生産性を上げるという考えは当然なのかもしれないが
それが世の中全員に当てはまるわけではないのだ。

正しいことって、何なのか。
誰のために、仕事ってするんだろうか。

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