ペイシェントボイスカフェ(脳脊髄液減少症・漏出症)
【日程】
2023.12.17
【ゲスト】
松本 広海さん
【イベント紹介】
患者と医療を繋ぐ活動の一環である。
薬剤師他、医療関係者が患者さんの実際のお話しを聴くことで、患者視点や想いを知り、臨床における薬剤師の発想を広げてコミュニケーション能力向上へ繋げていただくことを目的にしている。
また、参加者同士の交流の場としても機能している。
【自己紹介】
若い時から、表現することが好きだった
ミュージカルやダンスなどをライフワーク
2010年に本疾患を発症してからは活動を縮小
今は一般企業で設計業務をしながら腹話術奏者やヨーガセラピスト、ナレーターなどを行っている
○脳脊髄液減少症を知っていますか?
○脳脊髄液減少症を理解していますか?
(当事者の辛さ、実態を含めて理解しているか?)
⇨近年の認知度は向上しているが、実態までは難しい印象がある
【病歴】
幼少期・思春期は割と健康体
細菌性髄膜炎を発症(1997)
低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)を発症(2010)
→入院治療を重ねて今に至る
▽
そもそも人間の脳は脳脊髄液に浮かんでいる
→交通事故など大きな衝撃を受けた時に、硬膜に傷がついて漏れ出す可能性が大きい
→演者は特に事故ではないけれど、漏れ出してきてしまった
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脳が下がってきて、それと繋がる血管や神経が引っ張られ、頭痛などさまざまな症状をきたす
特徴的な症状として、起立性頭痛(急性期にはほとんど現れる症状)
痛みは連日・常時・長期にわたる
→慢性時には活動時辛い状況になっていく
種類
(髄液が減少する病態に対していろんな種類がある)
特発性低髄液圧症候群(演者)→髄液圧低下が顕著だったが、合併で出やすい慢性硬膜下血腫は出なかった
(ラジエーションハウス最終回は理解が深まる)
腰椎穿刺後の髄液漏出→無痛分娩で発生する症例もある
2019年に再燃したとき、脳脊髄液減少症(漏出症)で確定診断が出た
どのような症状が出るか
不定愁訴のオンパレードなイメージ
本当にいろんな症状が出る。
経験したことのある症状と、現在進行形で向き合っているものもある
【発症時のエピソード】
ある日突然起立性頭痛の症状が出た
→すごい痛みだった(死にそうなくらい)
→当時ガラケーで親に遺書を書くくらい
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かかりつけのクリニックと大学病院で検査
→異常なし、健康ですと言われた(実際多い)
最初の診断は片頭痛でイミグランの処方あり
→自分的に髄液系の疾患では?と思った
→以前の発症と感覚が似ていたので
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大学病院で髄液の検査をお願いした
→通常の1/3まで低下していることが判明し(低髄液圧症候群の疑いで)緊急入院
脳脊髄液減少症は「難病」と言われている
→発病の機構が明らかでなく、治療法が確立しておらず、長期に渡り療養を必要とすること
→ずっと付き合っていかないといけないのだと思った
【どんな治療の選択肢があったか】
医師から「完全に治す治療法はない」と言われた
基本的には安静にしているか、簡単な手術をするかの二択
①保存的治療
→要は、水分補給しながら安静に寝ている間に髄液の漏れ、傷が塞がっていくのを自然と待ちましょう
②1がダメなら、ブラッドパッチ(硬膜外自家血注入療法)
→自分の血液を注入して瘡蓋みたいなものを作り、傷口を塞ごうという手術
→生食パッチなどの方法も
入院後
保存的治療を試した
→あらゆる鎮痛剤での緩和を狙ったが効果なし
MRI検査で、第一頸椎と第二頚椎の間に髄液漏れの所見が出た
→ブラッドパッチの可能性を示唆された
→ブラッドパッチでも完全に治るわけではないよ、と言われた
過剰な期待はしないでほしい、と
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また踊れる体に戻れるかな?
「何とも言えない」
→今の症状が和らいで、QOL向上をしてなんとか日常生活を送れることが目標と言われた
当大学病院では初症例でエビデンスが乏しく、合併症や副作用についても読みきれないというお話でもあった
▽
いろんな人に見られながらブラッドパッチを受けることになった
想像していた以上に衝撃的な治療だった
身体的な苦痛を伴う治療だった(局所麻酔でも激痛だった)
→これまで何回か受けている
→合併症については、腰痛、耳閉感などがひどかった
自分はしんどいが、周りはいい写真が撮れた・成功した!という認識だった
自分と周りに温度差があった
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自分が人間ではなく、物体になったような変な気持ちになった
感じていたこと
症状は残存していた(レベルは下がったので成功だったが)
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医師には感謝していたが、残っている症状に対して不安があった
歴史の浅い病気だから仕方ない
治るかどうかわからない
仮病だと思われているのではないか(手術は成功しているから)
日常生活に戻れるの?
親に自分の介護をさせるの?(精神的に一番辛かった)
この病気で死ぬことはないけど・・・
私は生きていて良いのだろうか・・・
医師はいろいろ励ましてくれた
励ましの言葉は時として心が抉られてしまうこともある
昔はこんな病気はないと言われていたんだよ(これはなまけ病と言われていたから、治療が受けられてラッキーなんだよ、と)
そんな風に思えない精神状態になっていた
▼
言われる言葉1つ1つに対して、悲しい、悔しいとか感じられれば良かったが・・・
→その部分が欠落していて、ショートカットでこの病院の何階なら飛び降りられるだろうと自然に考えていた
最終的にはこの状態から目が覚めた
→闘病するのはこの精神状態まで行っちゃうことがあるのだと身をもって経験した
【退院後の対症療法】
症状レベルが一番ひどい時を10とすると5くらいまでは退院の時には落ちていた
いろんな診療科に行って相談したりもした
今は漢方薬とサプリメントにて対応している
【2019年再発】
また起き上がられない状態になった
大学病院では、対症療法以外の治療は受けられなかったので
専門医の方を尋ねた
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専門の検査をしたら
首からだけでなく、腰からも漏れていたことが判明した
正常値は30%以上なければいけない数値が7.3%しかなかった
→脳脊髄液減少症・漏出症で確定された
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これがあったおかげで、この病気と向き合う覚悟が整った
病気するまでは、
病院に行けば何とかなる、と思っていたし
絶対に効く薬があると思っていた
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この病気になってから当たり前ではなく奇跡だと思うようになった
希少な疾患だと工夫や能動的行動の重要性を感じている
どんな治療を受けられるかなど、自分で行動して取り組まないと行けない状況になっている
【和みのヨーガ(心身予防自然治癒整体法)】
体だけでなく心にもアプローチしていくもの
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認知の歪みなどにもアプローチできる
2016年にインストラクターやセラピストとなり、行う側に
腹話術
ぬいぐるみに話したりしていた
パペットに代弁してもらう
話すことは、手放すこと
独自のパペットセラピーを通して、過去のトラウマを克服した
【再発後の取り組み】
働き方の再構築に取り組んだ
対話を試みて、病気と仕事を両立できるかを考えている
【薬剤師さんにお話したいこと】
この病気では、薬で治療する段階にはない
→私は医療関係者に対しては、知らないことや分からないことは聞いてほしいと思っている
→他の対応に活かしてほしい
聞いてもらえると嬉しい感じる患者もいる
聞いてもらえるだけで、救われる患者もいる
病名は知っているけれど、詳細を知らないケースがほとんど
対応パターン
①あ、あの病気なんですね(一番多い対応)
②あ、あの病気なんですね、頭痛だけでなく眩暈などもあるんですね、もう少し聞かせていただけますか?
③あーあの病気なんですね!ブラッドパッチを年一でしていくと良いんじゃないですかね!
▽
私自身は、②の対応が嬉しい
他の患者に活かしてもらえる、未来へ繋がる希望の行為だと思う
【次回予告】
1月7日(19:00~20:30)
テーマ:乳がん(再発あり)
ゲスト:篠崎 由紀子さん
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