「目には目を」ではなく「目には目で」が正しい?
「目には目を、歯には歯を」と言う言葉は、「やられたら(同じことを)やり返せ」と言う意味に理解されがちです。その理解はおそらく新約聖書の以下の一節からきています。
「復讐してはならない」と言う見出しがついた一節の冒頭で、復讐を正当化する言葉として引用されています。これだけを読んで真に受けのだとしたら、「目には目を、歯には歯を」という言葉は復讐を推奨していると捉えてしまうのも当然です。
補足1「復讐してはならない」といった見出しは後世の編集者や翻訳者によってつけられたもので、原典にはありません。
紀元前18世紀にメソポタミアのバビロニア国王であるハンムラビによって発布された「ハンムラビ法典」に、以下のような条文があります。
日本語訳だとちょっと誤解を招きそうな表現ですが、例えば他人の目を損傷させた加害者について、英語では"they shall destroy his eye."という表現となり、they(裁判官・刑吏などの行政執行官)が加害者の目を損傷させるべし、といっています。被害者に対し復讐を煽ったり認めたりしているのではなく、罰則として同等な損傷を以て償いなさいと言っています。
この考えは復讐の推奨とは真逆の考え方で、損害には同等の損害で償うという原則(クリオの法)を定めることで恨みの連鎖や過度な復讐を抑制しようとしています。また、私闘・私的復讐は中央集権の障害であり経済の疲弊や治安の悪化を招くため、権力者は一定の権力基盤を得ると真っ先にこれを禁止するのが当然で、復讐を煽るようなことをするはずがありません。
補足2 クリオの法は日本語で同害報復法と訳されますが、これも誤解を助長するのに一役買っているように思います。同害応報や同害補償といった方が意図を正しく表現しているのではないでしょうか?
旧約聖書においても、『出エジプト記』『レビ記』『申命記』に「目には目を、歯には歯を」の記述が出てきますが、いずれも被害者による復讐を煽るものではなく、行政執行官などの公権力によって報復がなされる前提で同害報復法が説明されています。
以上のことから、「目には目を」は「他人の目を傷つけてしまったなら、目を傷つけることを以て償え」と理解するのが正しく、略すのであれば「目には目で」のほうが適切ではないでしょうか。
出典を隠さずに言うと、「目には目を、ではなく、目には目で」と言う言葉を聞いたのは、第13代早稲田大学総長、哲学者であり後にカトリックに宗旨替えされる故・小山宙丸先生の講義でした。不真面目な学生であった筆者はどのような文脈で言われた言葉であるか正確に覚えていませんでしたが、強く印象に残っていたため自分なりに整理しようと記事にしてみました。
「目には目を、歯には歯を」という言い回しは「やられたらやり返せ」という理解で一定の市民権を得てしまっているため、「目には目で、歯には歯で」と言い換えることで正しい認識が広まるのではないか、という意味だったのではないでしょうか。
最後に、冒頭の『マタイによる福音書』の一節に戻ります。上記を踏まえてこれを読んだ時の私の抱いた 印象を以下のようにまとめてこの記事を締めたいと思います。
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。」とは、旧約聖書のことを言っている
キリストは「目には目を、歯には歯を」という言葉が存在していると言っているだけで、それが復讐を推奨しているとは言っていない(ウソはついていない)
しかし、その後の文脈から明らかに(旧約聖書では復讐が推奨または許可されているという)ミスリードを誘っている
これは、相手の言ったことの都合よく解釈したり極端な例を挙げたりして揚げ足を取ることで議論を有利に進めるやり方と同じである
このやり方はかなりの効果を上げている(実際に誤解した人が多い)