精霊のすむ森を探して
ふりかえると、無意識のうちに
精霊のすむ森を探していたのだと思います。
だけど、「精霊」と口にするのは
なんだか恥ずかしい。
はっきりみえるわけではなく
感じるだけだし。
一応、
エビデンスが必要な仕事をしているし、
怪しい人って思われたくなくて、
わかってくれそうな人や
身内にだけ話していました。
でも、
本音で生きることを決めた時、
言葉にしていきたいなって思いました。
そんな想いから会いに行く
森や自然の記事を
書き溜めることにしました。
3年前、
青森から神奈川に引っ越してきました。
神奈川でも「自然が豊か」と
いわれている場所なので
大丈夫だと思っていました。
でも、違っていました。
同じように緑があるのに、
息苦しい。
なんだか寂しい。
森もぼさぼさしていて機嫌がわるそう。
なかには、
自然がイキイキしていて
綺麗なところもあるけれど、
全体ではないこの感じ。
なぜだろう、なぜだろう、
と思っていました。
自分を過信しすぎていました。
植物が好きだから、
一個一個の植物に向き合えば
大丈夫だって思っていたんです。
新たな挑戦よって。
でも
それじゃダメなんだってわかりました。
人社会が個ではなく
周りと関係性を持ちながら
生きているように、
自然もつながりがないと
エネルギーも弱く個性が伝わってこない。
そんな風に感じました。
「自然が豊か」って
どこを基準に評価するのだろう。
今まで深く考えてこなかった言葉の意味を
考えるようになりました。
そして、しばらくして
その人の生まれ育った環境によって
「自然が豊か」の基準が
違うことがわかりました。
私は青森で生まれ育ちました。
だから、
青森でみてきた自然が基準になります。
青森で育んだ自然センサーがあるのでしょう。
そして、
スピリチュアルリーダーの並木良和さんが、
青森を訪れた印象として
「自然界の精霊がとにかく沢山いた」
とコメントしているのをきいて、
あ、そうか、と思いました。
みてきた自然の中に
並木さんがおっしゃるように
精霊たちが沢山いたのだとしたら。
精霊たちがいる森を感じる
センサーが備わっているのだなと。
だとしたら、
このセンサーは
青森からもらったかけがえのないギフト。
これを何かいいことに
幸せに感じることに使いたい、
と思うようになりました。
神奈川にきてすぐに
「大地の再生」活動を
体験する機会がありました。
そこでは、
水脈や地脈を無視して作られてきた場を
もう一度つなぎなおす活動をしています。
分断された場所は呼吸をしておらず
「つまっている」という
表現をしていました。
大地が植物が呼吸している感じ、
風がふきぬけていく感じを
五感で感じなさいと指導していました。
そのお話は、
私が感じていることとリンクすると
思いました。
精霊の住む森は
自然がつながっている場所なのではないか。
生きとし生けるものは、
4エレメント(水・光・風・土)が必要だもの。
大地の再生で感じる五感が
気持ちよいと思える場所=精霊がすめる森
につながっていくのではないか。
そんな風に感じたのです。
国土の7割弱の森林を有する日本ですが、
今はあちこちで災害が発生し
崩れはじめています。
また、
再生可能エネルギー開発による
環境破壊も進んでいます。
存在しててあたり前だった自然は
いつなくなるかわからない。
なくなってはじめてわかる
「あたりまえ」の素晴らしさを
身に染みて体験しているからこそ、
今のうちに
そんなつながりが残る自然を訪れておきたい。
そんな想いを
「精霊がすむ森を探して」に託して。
精霊を感じられたら、
感謝の気持ちを伝えよう。
そして、何らかの形で残していきたいな
と思っています。
まずは行ったけれど、紹介せずにいる
大島、奥入瀬渓流、の紹介からはじめます。
後悔のないように、
秋のうちに東北に。冬になったら南の方へ。
心の中でずっと温めていたことを
後悔しないようにアクション。
チャレンジのはじまりです。