つけるメガネで変わる人生観
私は以前から思っていることがある。そして最近確信した。
曇ったメガネ
物事が上手く進まない時や、自分今立ち止まってると思う時は自分の目から見えている世界が曇ってぼやけて見える。目の感覚的にはボーッとしている時に目がどこか遠くの方を見て全く筋肉を動かしていない感じ。
こんな経験あるのは私だけなのかもしれないが、上手くいっていない時にはメガネをかけずに見た世界の様に見える。
この世界に慣れてしまうと抜け出すのは難しい。メガネなしで長い時間過ごしてみると、目もその視力で見える世界に慣れてしまうから特に物事をもっとよく見ようとも思わなくなる。
それと同じで、頭の中でぼやっとした世界しか思い描けていないとそれが当たり前になって全てがどうでも良くなってくる。
再びメガネをかけ出してもその矯正された視力に合わせるのが難しくてなかなか現実を現実として捉えなかったり。
悲観的か楽観的か
物事を悲観的に捉えやすい時は、私は心の中で勝手に悲観的なメガネ/フィルターがかけられているのだと思う。
例えば仕事や大学からの課題が沢山あっててんてこまいになった時に絶望的感覚に襲われてもう人生詰んだみたいな感覚に襲われたことは誰でもあると思うが、それは心に悲観的なメガネをつけて物事を見ようとしているからだ。
同じ状況でも反対にどれだけ大変でも少しづつ順序立ててこなしていけば不可能なことなんてないからコツコツと仕事も課題も両立して頑張っていこうとモチベーションを保てる人もいると思う。そういう時は私は心にポジティブな色のフィルターがかかっているからなのだと思う。
同じ状況でも見方次第で捉え方、心の保ち方が全く変わってくる。
どれだけ嬉しいことでも心が悲観的な目で見ていれば「でも、どうせいつかは終わってしまうわけで...」とかネガティブな方向でしか見れなくなる。
心のメガネの怖いところは癖になってしまったらそのメガネをつけていることに気がつかないところだ。
私たちが普段使うメガネは物理的に存在するからつけたり外したりすることは可能だ。しかし、心につけているものは見えない。だから自分が一度そのメガネをつけていること、外したぼやけた世界を見ていることに気が付きにくい。
大切なのは自分の心の状態と日頃から向き合う癖をつけたり、物事が悲観的に見えて落ち込むことが増えたり、活力が湧かない時期が長く続くようであれば一度その心のメガネから見ている世界に自分が慣れてしまっていないか確認する必要がある。
楽観的な目で見ると、今まで最悪だと思っていた環境がそんなに悪いものでもない時も沢山ある。
正直私自身ぼやけた世界に最近まで慣れきっていた。ある本を読んだり、友人と話したりして今まで自分は曇った世界しか見えていなかったことに気がついた。そうすると、今年のやりたいことリストに書いたnoteを通して自分の想いを継続的に発信するということを思い出して早速こうして行動している。
やはり想いは言語化しないと消えてしまうのだとしみじみと実感している。
物事は見方次第だというがそれはあながち間違いではない。
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