仮想空間に生きることが現実になりつつあるなか、生身であることの存在意義は?
毎週日曜日の早朝に、チームで読書会を開いています。
本日はチームメンバーである中崎倫子さんという方が課題書として提示された
「ビジネスの未来~エコノミーにヒューマニティを取り戻す~」という本を読んで、対話を深める読書会でした。
この読書会の面白いところは、
予め本を読んでこなくていいところです。
短い時間でも、読んでこなくても、そのなかで自分にとって最大限の学びが起きるような読書会設計にしてあるので、満足して帰ることが出来るのが特徴。
本に正解を乞う、という読み方ではなく
本に書かれてあることを足がかりにして、
身の周りに起きている事柄を自分はどう捉えていくか?
どう行動するか?のヒントを得る。
という読み方で本とつき合えます。
本日この読書会から私が得たものは、以下でした。
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私たちはとどのつまり、なんらかの情報をやりとりし合い、変化しています。(食べるにせよ、会話するにせよ、学ぶにせよ・・)
これまでは、実際にやってみること=体験を通して情報のやり取りが多かったのだけれど
デジタルによる情報交換量が圧倒的に増えた現在は
これまでのように触覚・嗅覚・味覚など使った思考や感情の変化から、視覚・聴覚を使っての思考・感情の変化へと移ってきている。
究極、脳内の電気信号伝達を満たす環境で事足りるのではないか?というSFの世界に近づきつつある・・といった参加者さん間での対話から、いま肉体をもって存在している意味・意義などについて考えてみました。
・・現時点での結論やはり、肉体を持っているということは
社会(私たちがいる場所)に対して影響を及ぼせるということだな、と思います。
作る、
運ぶ、
話す、
書く・・など
何かを移動させ、形にしたものが誰かの心に届き
その人の中でなんらかの反応を起こす。
書き留めておいたら、
音や映像にして残しておいたら、
距離の遠さや時を越えて
いま会えない人にも届く可能性がある。
その僥倖にめぐりあえるよう
誠実に動いて形にする(なにかを移動させる)。
それが身体を伴っている意義だな、というのが今回の読書会から持ち帰ったことです。
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