縄文の聖地、青森旅行
下の娘が3月に就職し、6月に青森転勤になったので、まだ行ったことが無い青森に娘がいる間に、そのうち行ってみたいなと思っていたのですが、あれよあれよという間に行ってきてしまいました。
どうせ行くなら、以前から行ってみたかったねぶた祭も見てみたかったので、8月の4日から2泊だけでしたが東北を味わいました。
私は、以前から縄文時代が好きなのですが、はまったきっかけは小学生時代に遡ります。
旅行記の前に、私と縄文時代を書きます。
当時、私の地元で小金井街道のバイパスとして新小金井街道の工事が始まりましたが、始まるとすぐにその土地が縄文時代の大集落であることが分かり学術調査で工事がストップしたことがありました。
調査が終わった後、何となく緩く立ち入り禁止されていたと思いますが、当時の小学生にはあまり効果は有りませんでしたので、皆で発掘が終わり埋め戻されているところをほじくり返すと、小さな土器のかけらなどを見つけることが出来たのです。
また、昭和の子供の遊びの王様『基地作り』で竪穴式基地を掘っていると、縄文時代の首飾りではないかと思うようなものを発見したこともありました。
私の住む多摩エリアは立川段丘があるために、その下で湧水が豊富に沸いているので縄文人のライフスタイルに適した土地だったのでしょう。
さらにこの小学生時代には、祖母のいる河津に夏休みの間長く遊びに行っていましたが、地元の方々にかわいがっていただき、山には鉄砲撃ち、山菜取り、タケノコ堀り、川では釣り、ズガニ取り、夜中にカンテラを付けて手長エビやウナギ取り、海では貝取りと、自然の中で食べ物を自分で採集する喜びを教えてもらい、私の縄文人的メンタリティーは完成しました(笑)
また、美術の先生をしている友人が野焼きの実験をやろうと誘ってくれた時には岡本太郎の縄文土器に関する本などを見て、火炎土器を作ったことも有ります。
そして、ごく最近坂本龍一さんと中沢新一さん共著の「縄文聖地巡礼」を読んだばかりでしたので、今回の旅行は私の中でまさに縄文の聖地巡礼気分だったのです。
そして、新青森駅でレンタカーを借りまずは、三内丸山遺跡!!!
写真の直系1メートルの栗の木の6本柱!
迫力がありました。
縄文の人々はこの建物で何をしたのか、想像すると楽しくなります。
私は、何となく鳥葬に使ったのではないかと感じましたが、それだけこの大きさは畏敬の念を感じずにはいられません。
これは、ねぶた祭も同じなのですが、シンプルに大きい、きれい、明るい、そうしたものにただ「すげえ~」と驚き、喜び、楽しむのが縄文から続く東北にある文化の底流ではないのかなと思いました。
また、大湯環状列石にも行きました。
あまり時間が無かったのですが、運よく地元のボランティアガイドの方に解説をしていただきながら見ることが出来ました。
学術的な解説のほかにも、私のムー的な質問にも答えてくださり、この石とこの石を結ぶと、あの山を指していて、あの山はUFOの基地だという人がいる、などと脱線話にも付き合ってくださりとても楽しいひと時でした。
坂本龍一さんの本にもありましたが、縄文の集落ではお墓、死者が町の中心にいるんですよね。
死と生が隣り合わせであるという事実、死を尊ぶから生を大事にする感覚は大事だなと感じます。
最後に、縄文と全く関係ありませんが、「津軽ラーメン」、煮干しのめちゃ利いたラーメンの魅力にはまりました。
美味しいですよ~。
行かれる方は是非!!
娘に効いたら、絶豚さんが一押しとのことでした。
私は残念ながら店舗で食べることは出来ませんでしたが娘にもらった絶豚さんのインスタントラーメンでも十分美味しかったです。
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