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「夢」を持てないあなたと夏美へ【世界一長い『ラブライブ! スーパースター!!』考察②】

どうも、一般オタクのNDです。ギャラクシー!
今回は「世界一長いスパスタ考察①」の続きで、スーパースター2期の考察&感想を語っていきます!

冒頭で振り返りを入れていますが、前回記事の内容を前提に進みますので、ぜひそちらもお読みください!

この記事を読めば、
・四季とメイは本当に「似た者同士」なのか?
・夏美はなぜLiella!に加入できたのか?
・ウィーンはどうして敗北したのか?
・Liella!はなぜ澁谷かのんが抜けてもLiella!として存続する道を選んだのか?
というような疑問も解決する……はずです!

2期も本当に素晴らしいです……!
ちなみに今回もオニ長いのですが、スーパースターが面白すぎるのが悪いので、どうかご勘弁ください!


0.前回のスパスタ考察!

さて、1期の考察のおさらいです。

①「私(=夢)」を叶えたくて頑張ったけど無理でした。どうしたらいいですか?
②「私を求めてくれる貴方のために」という小さな輝きを放とう!
③ 5人が互いに手を取り合い、「後ろ向きな連帯」によって、ひとつのスーパースターが出来上がる
④「貴方のために」の連帯は学校全体に拡張し、Liella!は「ラブライブ優勝」を目指して、μ'sのような「団結」に至った!

ざっくり、こんな感じの話でした。

公式の30分まとめがスバラシイ

しかし、ここで2つの問題が浮上します。

Ⅰ.かのん達は結局「能力」があったけど、本当に何の力もない我々はどうすれば輝けるのか?
Ⅱ.そもそも夢を持たない人間はどうすればいいのか?

2期では主にこの2点の解答を描いており、異なる背景を持つ全員の「この場合はどうしたらいいですか?」という問題にすべて答えていきます。

今は意味不明かと思いますが、以下の表をご覧ください!

2×2×2で8通りのパターン

なんとなくパターンを網羅しているのがわかりますでしょうか。
そう、2期が目指すのは、完璧な「全員救済」です!

今回は、時系列順で2期生の加入経緯を考えつつ、ウィーンとの戦い、そしてかのんの「留学」について、どのような意味があったのか語ります!

1.Liella!はなぜ桜小路きな子を救うのか?

・スターとなったLiella!

2期が始まった瞬間、とてつもない変化が起きます。

メイ「Liella!は結ヶ丘の期待の象徴。スターなんだよ、今のLiella!のメンバーは」

きな子「そんなスゴいんすか!?」

1期では事あるごとに「スターではない」と強調された5人が、2期では学校の全員から「スターだ」という扱いを受けているのです。

かのんは歌、恋はフィギュアスケート&ピアノ、千砂都はダンス大会優勝、すみれは芸能経験、可可は情熱と衣装制作……と「スター」の理由を列挙するナナミ。
しかし、実は1期と言っていることは変わらない。

1期でかのん達が輝きを得る物語は、いわば「能力がない者の生存戦略」として描かれていました。
しかし、2期では「能力があったけど埋もれていた」と認識を変えているわけです。

1期の記事で、一番最後に「結局かのん達は能力があっただけでは?」と提示しましたが、そんな感想に対して2期では「その通りです」と認めているイメージです。いや認めるんかい!

では、「本当に能力がない者」は、夢を叶えることができないのでしょうか?
そこで我々を救ってくれるのが、桜小路きな子です。

きな子には「能力」がありません。
都会に憧れて上京してきた「普通の子」で、勉強も運動も苦手です。

きな子を貶めているわけではありません!
むしろ能力がなくても輝く姿に胸を打たれる

そんなきな子が、Liella!を見て「スクールアイドルをやってみたい!」と思うところから、2期の物語は始まります。

・「向いていない」という幻想

ところで、スーパースター2期では「私には向いてない」という台詞がたくさん出てきます。1話のきな子、4話の四季とメイ、千砂都など。

「向いていないことでもみんなと頑張ればできるようになる」
「向いているかより好きかどうかが大事」

一面的に受け取るとこんな感想を持ちそうですが、これはスーパースターが描いている内容とはまったく異なります。

きな子「興味はあるけど自分には向いてなさそう」

実は「向いているかどうか」という話は、実際の能力の問題ではなく、心理的なハードルの問題として描かれているのです。

よく思い返してみると、「私には向いてない」という言葉は、何かを始める前にしか登場していません。
きな子や四季とメイはスクールアイドルを始める前、千砂都は部長になる前の発言です。
そして、実際にやってみた後は、「私には向いてない」という言葉は出てきません。

つまり、『ラブライブ!スーパースター!!』において、「向いていない」という言葉は、「あと一歩の勇気が出ない」という弱気の言い換えに過ぎないのです。

千砂都「だって、そういうの(部長)向いてないし……」
部長になることを決意した千砂都
千砂都「できるって思えば、できるかもしれないのに」

これは2つの意味を持っています。
1つ目は「向いているかどうかはやってみなければわからない」ということです。

1話できな子が「やってみたいけど向いてなさそう」と迷う場面で、通りすがりの夏美が声を掛けます。

夏美「やってもないのに、向いているかどうかなんてわからないでしょ?」

この直前の台詞も重要なのですが一旦カット

これは夏美CEOのおっしゃる通りですね。
厳然たる事実です。

4話でのやりとりも印象的
メイ「どう考えても向いてないだろ」
かのん「やってもないのに向いてないは禁止だよ」

重要なのは2つ目で、「向いているかどうかは関係ない」ということです。
「向いていないかも」と思っていたスクールアイドルが、やってみたらできた。
これは「やってみたら向いていた」という話ではなく、「本当に向いていなかったとしても大丈夫」という、非常にパワーのある結論です。

例えば、きな子や夏美は、「スクールアイドルに能力的に向いているか」で言えば、間違いなく向いていません。

3期9話ではウィーンから名指しで実力不足を指摘される

しかし、スクールアイドルを始めた後に、「やっぱり向いてなかったのでやめます」という話には絶対にならないのです。

「向いているかどうか」とは、一言で言えば「能力」ですよね。
つまり、最初の問題Ⅰ「かのんと違って能力がないのですがどうしたらいいですか?」に対しては、「能力の有無は問題ではない」がスーパースターの解答です。

思い返してみれば、かのん達も「自分達に能力がある(=スクールアイドルに向いている)」と思ってスクールアイドルになったわけではありません。
むしろその逆で、「能力がない」と思っていたからこそ、Liella!というグループが出来上がったわけです。

「向いているからスクールアイドルをやっているんですか?」という問いには、Liella!の全員がノーと答えるはず

才能の差は間違いなくある。それでも関係ないと言い切ってみせるのが、『ラブライブ! スーパースター!!』が描く、厳しくも眩しい希望の光です。

この結論のヤバさ、伝わっているでしょうか?
私はラブライブ!シリーズにしかできない物語だと感じます。

能力(=向いていないこと)と向き合う物語は数あれど、「そんなこと関係ねえ! まず頑張れ!」と言い切れるのは、『ラブライブ! サンシャイン!!』などで「もし結果が出なくても、無駄な努力は決してない」と描いているからです。

スーパースターの中では恋の母親が示している

頑張りたい人の背中をどこまでも押してくれる、なんて素敵な作品なのだろうと感じます。

・Welcome to 僕らのセカイ

能力がなくても問題がないことはわかりました。
しかし、スーパースターにおいては「貴方のために」という繋がりがなければ、輝くことはできません。
そこで「きな子の加入」について、きな子ではなく、きな子に手を差し出したLiella!の視点で見てみましょう。

2年生となったかのん達5人は、本気で「ラブライブ優勝」を目指しています。
実力面だけで言えば、きな子の加入は完全にマイナスです。

実際に3話でウィーンに負けた理由は
きな子の加入にあると示唆される

それなのになぜかのんは、きな子をLiella!に誘ったのでしょうか?
もっと言えば、どうして「新メンバー」を受け入れられたのでしょうか?

ここまでクソ長い考察を読んでいただいた方には、もうおわかりかもしれません。
それは、Liella!が手を伸ばしあって生まれたグループだからです。

μ'sやAqoursのような「団結」は、後からメンバーを追加するのが困難です。その「9人」での活動に絶対的な意味がある。
μ'sが3年生の引退と共にμ'sそのものを解散したのは、「μ'sはこの9人」という意識があったからです。

「μ'sはこの9人」という「証明」写真を残す

しかし、Liella!は違います。1期を経て「団結」の次元に至ったとはいえ、互助組織であるという本質に変わりはありません。
手を伸ばしあってできたグループだからこそ、どんどん手を繋いでいける。

そして、きな子のように「頑張りたいけどどうしたらいいかわからない」という人間は、かのん達が最も「助けたい!」と思う存在です。
何故なら、かのん達自身が、そんな挫折の中で「貴方のために」というLiella!のシステムに救われたからです。

きな子に手を差し伸べるという行為は、いわば昔の自分を救い出すのと同じことなのです。

きな子(=私)を救いたい

『Welcom to 僕らのセカイ』を披露したかのん達は、きな子に手を差し出します。

かのん「これがスクールアイドルの魅力。みんなと結ばれて作る新しい未来」

きな子の加入には合理的な理由もある
かのん達は「学校のみんな」がくれる輝きも合わせてステージに立つと決意しているものの、実際には数百人の輝きを5人で担うのは無謀
単純に人数が増えれば、一時的には実力が低下するとしても、長期的には理想の実現に近づける

2.四季とメイは「そっくり」なのか?

・四季≠メイ

きな子の次に加入するのが、米女メイと若菜四季です。
ふたりについて、かのんはこんな風に言います。

かのん「ふたりはそっくりだもん」

かのん「恥ずかしがり屋で、寂しがり屋で、そんな自分が嫌だからついついこれでいいんだって。私はこうしていたいんだって自分に言い聞かせて」

また、メイも四季に言います。
メイ「せっかく似た者同士が出会えたんだ。少しだけ素直になってみないか? 四季が傍にいてくれたら頑張れそうな気がするんだ」

4話『科学室のふたり』では「鏡」がキーアイテムとして登場しており、ふたりが「似ている」ことが強調されています。

メイ「顔、真っ赤だぞ」

しかし、冷静に考えてみれば、このふたりはまったく似ていません。
正確には、似ていたのは「互いに互いを想っていた」という1点のみで、ふたりが持つ背景はまったく異なるのです。

だがそれがいい

例えば、そもそもメイはクラス内のグループに属していたような描写があり、最初から自分の世界で過ごしていた四季とは雲泥の差があります。

──というような、キャラクターとしての四季とメイの違いや、四季メイの関係性についての話は別記事でまとめるとして……

四季とメイのふたりは、2期のテーマ的な観点で考えて、決定的に違うところがあります。順を追って考えてみましょう。

米女メイは、最初から「夢」を持っている人物でした。
可可に迫る熱量で「スクールアイドルになりたい」と思っており、結ヶ丘に入学した理由も「スクールアイドルをやってみたいから」と明言されています。

四季「メイがこの学校を選んだのはスクールアイドルをやってみたいって思っていたから。Liella!がいたから」

あとは「一歩の勇気」を出せばいいだけというか、結ヶ丘を選んだ時点でほとんど踏み出しているようなものです。

それでもメイがLiella!に入らないのはなぜか?
それは、四季がいるからです。メイは「四季のため」にスクールアイドルを始められません。

メイ「私がいなくなったら、ただでさえ薄暗いここがもっと暗くなっちまうだろ」

四季とメイは誰がどう見ても「貴方のため」と想い合って連帯が成立しているのに、輝きを放つことができないのです。

一体、何が起きているのでしょうか?

・「貴方」の夢

ここで確認しておきたいのは、すべての努力の原動力になるのは「夢」だということです。
『ラブライブ!』シリーズは「努力を肯定する物語」ですが、人間が一生懸命に頑張れるのは「夢」があるからです。
逆に言えば、何かを頑張りたいと思っていても、夢がなければ何をしていいのかわかりません。

メイにはスクールアイドルという「夢」があります。
しかし、四季には「夢」がないのです。

この「夢」の有無こそ、メイと四季を隔てる最大の違いです。

メイは、夢を持たない四季と「貴方のため」で繋がったため、あと一歩を踏み出せないわけです。

「四季をひとりにしたくない」というメイの気持ちと、「メイの夢を邪魔したくない」という四季の気持ちのぶつかり合いとすれ違いが……ああ……ガワイイ……

現代に生きる我々の悩みは、この「夢がない」というものが結構多いように思います。
冒頭で問題Ⅱとして挙げた、「そもそも夢を持たない人間はどうすればいいのか?」という話ですね。

夢中になって頑張れる「何か」を見つけられない。
この危機的な問題にスーパースターは2つの解答を与えており、四季の在り方はその1つです。

四季の取った行動。それは「夢の模倣」です。
自分には内発的な「夢」がない。だから、メイの夢を模倣して、自分もスクールアイドルになろうと決意するのです。

四季はメイに対して、「(スクールアイドルは)別に好きじゃない。ただメイが興味あるみたいだから調べていただけ」と言います。

恥ずかしがっているものの、発言そのものに嘘はない

明確な描写こそありませんが、四季がスクールアイドルを知り、興味を持ったのは「メイが好きなことだから」でしょう。

「夢」と聞くと、心の内から湧き上がる衝動のようなものがあって、それを見つけられなければ終わりのように思える。
でも、心配しなくても大丈夫。好きな人がいるから同じ学校を受験するとか、友達がチーズバーガーを頼んだから自分も同じものを頼むとか、そういう低いハードルで「誰かの夢を模倣する」ことはできると、若菜四季は教えてくれます。

四季の口癖が「Me too.」なのは、本当によく考えられているなと思います。まさに「夢の模倣」を象徴しているわけですね。

6話の会話も印象的
メイ「Liella!の力になれないならスクールアイドルやるつもりはない」
四季「Me too.」

このように両者が夢を持ったことで、「貴方のため」の連帯は正しく機能して、四季とメイはLiella!に加入するのでした。

「手を繋ぐ」のがLiella!らしい
四季とメイが恋人繋ぎなのは、
強い「連帯」を示している説と尊すぎてヤバい説(?)があります

ちなみに、2期4話での四季の「夢の模倣」という選択は、3期3話の『白色のセンター』に繋がっています。

四季のことを「無色」ではなく「白色」と表現したのが上手いなと思いました。
Liella!に入る前の夢を持たない四季は「無色」だったのですが、メイの模倣をすることで「白色」となり、自分の色を持つためのキャンバスを得たわけですね。

もちろん「白衣」のイメージもある

四季の物語が「夢の模倣」から始まったことを念頭に置くと、3期3話の見え方が大きく変わってきます。詳細は3期考察で!

・一歩踏み出す勇気

さて、ここまで触れたきな子・四季・メイの3人に共通している点があります。
それは夢への「最初の一歩」を踏み出した経験がなかったこと、もっと言えば「頑張ったけどダメだった」という挫折をしていないことです。

これはかなり重要です。
なぜなら1期のかのんの物語は「頑張ったけどダメだった」という挫折からスタートしたことに意義があったからです。
きな子達の物語は、その意味ではシンプルな「最初の一歩」の物語でした。

●「夢(=叶えたい『私』)」
●「挫折(=『努力』したけどダメだった)」
●「能力(=実際に向いているか)」

この3要素が登場していることを整理して、次の項目に進みましょう。

ちなみにメイと四季の「能力」についてですが、メイは作曲・四季はダンスで力を発揮しており、きな子・夏美と比べて明らかに「できる」側として描写されていますね。

3.鬼塚夏美というラスボス

・夏美を救え!

個人的に2期で一番好きなキャラクターであり、そして革命的な結論を出していると思うのが鬼塚夏美です。
澁谷かのんは、最終的に鬼塚夏美という最強のラスボスを倒し、仲間にしなければなりません。

なぜ鬼塚夏美はラスボスなのか?
それは先程の3要素を考えるとわかります。

最後に加入する2期生

幼い頃、夏美は様々な「夢」を見られる少女でした。
たくさん努力をして、「挫折」して、それでも何度も立ち上がりましたが、結局そのすべてが実りませんでした。

この過去が意味しているのは、夏美にはあらゆる夢を叶える「能力」がないということです。
厳しい「現実」に直面した夏美は、「夢」を見ることをやめてしまいます。

「マニー」は現実の象徴

夢がない。能力もない。努力したけどダメだった。
スーパースターの登場人物の中で、明らかに最も詰んでしまっています。

この鬼塚夏美を救済することが、2期の使命と言ってもいいです。

「72-3X」つまり「夏美✖」という信じられないナンバープレート

この3つの要素の中で、最も重要なのは「夢」です。
能力の有無は関係ないことと、努力した経験は無駄にならないことはすでに示されています。
つまり、最終的には「夢」という燃料をどのように持つか、が焦点になるからです。

では、四季のように「模倣」ではダメなのでしょうか?
なんと……ダメです。あまりにも厳しい。

幼少期の夏美は、様々な夢を掲げていましたが、(確定的な描写はないものの)どれも内発的なものではなく、おそらくテレビや漫画の受け売りや、友人の語る夢の「模倣」だったことでしょう。

そのすべてが続かなかったのですから、夏美には夢を「模倣」する力さえないということです。

オリンピックで金メダル、ノーベル賞科学者、世界的なモデル……
3期の「夢ノート」もツラすぎる

このような過去があるため、「夢」に関して誰よりも想いが強いのも夏美です。
1話できな子の背中を押したのも、6話での合宿中に1年生組に檄を飛ばしたのも夏美でした。
しかし、その言葉の裏には深い「絶望」が見えます。

・1話
向いてないことをいくら頑張ったって駄目なものは駄目ですの。でも、やってもないのに、向いているかどうかなんてわからないでしょ?」
⇒ポジティブなようで、自分の能力の無さに心の底から絶望している。

サラッと言うので最初に観た時は気づかない

・6話
「夢に責任を持つべき」「諦めるくらいなら夢なんて語ってほしくない」
「皆さんの夢は決して実現不可能ではない。それは素晴らしいことですの」
⇒自分には夢を見ることができず、叶える力もないからこその言葉

「それは素晴らしいことですの」の顔
どれだけの想いを胸に語っているのか……

こうして整理すると打つ手がないように見えます。
では、一体かのんはどのように夏美をLiella!へと招いたのでしょうか?

・追いかける夢の先で

6話『DEKKAIDOW!』にて、北海道まで出向いたかのんは、夏美とふたりきりで語らいます。

夏美「かのん先輩にも動画に出演していただきますの! そうすれば──」

かのん「それよりスクールアイドルやってみない?」

かのん「夏美ちゃんに、9人目のLiella!になってほしいんだ」

いきなりの誘いに困惑する夏美に対して、かのんは言い放ちます。

かのん「夢がないなら、みんなと一緒に同じ夢、追いかけてみない?」

衝撃でした。頭がクラクラしました。

夏美は夢を見られません。模倣することもできません。
でも、「一緒に夢を追いかける」ことはできます。

あまりにも発想がDEKKAIDOW(?)

これがどれだけの人々を救う言葉なのか。
絶望の中にいた夏美を、こんな風に救い出せるんだと感動しました。

まず、四季が選択した「夢の模倣」とは、「他人の夢」を「自分の夢」にする行為でした。
しかし、夏美の「一緒に夢を追いかける」は、もはや「他人の夢」は「他人の夢」のままで、同じ景色を見るということなのです。

2期のEDテーマは『追いかける夢の先で』

これが許されるのは、Liella!が「全員の夢を全員で見る」というグループになっているからです。

「夢」と「目標」の違いの話をするとわかりやすいでしょうか。
Liella!の目標は「ラブライブ優勝」です。しかし、夢はメンバーそれぞれ異なります。
かのんは「世界に歌を響かせたい」、すみれは「有名になる」、恋は「母の想いを繋いでいく」などですね。

これらは個別に持っているわけではなく、全員が手を繋ぎ合うことで、全員の夢を同時に見ています。
かのんの「世界に歌を響かせたい」という夢は、もはやすみれの夢でもあり、恋の夢でもある。

つまり、Liella!は夢を「共有」しているのです。

12話でかのんの留学に際して、
可可が「かのんの夢はみんなの夢です」と語るのは象徴的

比較すると、μ'sの場合はこうなりません。
μ'sの目標は「廃校を阻止すること」で、夢はメンバー全員が「ラブライブ優勝」で統一されているイメージですね。

なぜこのような差があるかというと、μ'sは「みんなで(ひとつの夢を)叶える物語」なのに対して、Liella!は「私(の夢)を叶える物語」から始まっているからです。

ちなみに『虹ヶ咲』は夢も目標も全員バラバラ

Liella!に加入すれば、メンバー全員の夢を一緒に見ることができる。
夏美が自分で夢を持てなくても、夢を「追いかける」ことはできると言っているのです。

これが、かのんの「夢がないならみんなと一緒に同じ夢追いかけてみない?」という台詞に込められた意味です。

かのん「みんなが教えてくれた。みんなとなら(中略)頑張れるよって。一緒に夢を追いかけることはできるよって」

「他人の夢を見る」というと、なんだか盗人のようで気が引けますが、別にそれでいいのです。
まず夢を「追いかけ」なければ、何も始まりませんから。
そして「努力」さえ始めれば、必ず得られるものがあるのです。

「夢」を敷居の高いものだと思って欲しくない。夢は誰にでも追いかけられるのだという、ラブライブのアツいパッションを感じる解答です!

合宿中に2期生がみんなで同じ方向に「走る」描写は象徴的
夏美の手を取って丘に連れ出すかのん

かのんの言葉と共に、花畑が虹色に光を放ちます。
この各色はメンバーそれぞれの「夢」であり、そしてそれをかのんと夏美が同時に見ているという構図が、「みんなの夢をみんなで見る」という在り方を象徴しています。

みんなの夢 いろんな夢
3期ED『DAISUKI FULL POWER』が思い浮かぶ光景

かのん「ステージ全てがひとつになる。それが最高の瞬間。そんなライブをすることが、私達の夢」

Liella!の9人で同じ夢を見るだけでなく、最終的にはライブを観てくれる・応援してくれるみんなとも、同じ夢を共有したい。
それは「かのん」の夢ではなく、「私達(=Liella!)」の夢です。

こうして鬼塚夏美をも救済したLiella!は9人となるのでした。

『ビタミンSUMMER!』は最高

・きな子と夏美

ひとつ、今まで皆さんに黙っていたことがあります。
申し訳ありません(葉月恋)

ボウリングの球に見える

実は、四季と夏美だけでなく、きな子も自分の「夢(=叶えたい私)」を持っていませんでした。
きな子がLiella!に加入できたのは、夏美と同じように「一緒に夢を追いかける」という「夢の共有」によるものです。

きな子は、Liella!が輝いている姿に心を惹かれました。
しかし、内発的な「夢」を持っておらず、努力をしようにも燃料がなかったのです。

そんな中、きな子は『Welcome to 僕らのセカイ』のライブパフォーマンスを観て、Liella!の「全員で全員の夢を見る」という在り方を見せつけられたました。

きな子「なんじゃこりゃぁあああ!!?」

自分自身に夢が無くても、
Liella!に入れば「夢を追いかけられる」と知った衝撃

きな子は「希望」から、夏美は「絶望」から、その出発点は異なるものの、同じように「夢の共有」という着地をしているのが面白いですね。

きな子にとって、憧れの東京で初めて会ったのは夏美で、エルチューバーで、CEOで、輝いて見えていました。
夏美が「夢は本当にない」と語るのを聞いて、きな子が悲しそうな顔をするシーンが印象的です。

きな子の美しい横顔

きな子は単にショックだっただけでなく、自分と夏美の境遇が似ているため、同じやり方で一緒に夢を追いかけようと誘いたかった……のかもしれません。

きな子は「でも……」と食い下がる

もちろん、夏美の物語は3期で冬毬が加入することで、さらに深掘りされます。
2期での夏美のラスボスっぷりを理解できていれば、3期で夏美にスポットライトが当たるのも頷けますね。

4.ウィーンは闇堕ち澁谷かのん

ここまで説明すれば、冒頭の表の意味がわかってきたと思います。

冬毬のパターンは3期で

Liella!は「夢」「挫折(努力)」「能力」の問題について、本当に網羅していたのがわかりますよね。

各パターンの救済は済んでいるのですが、最後にLiella!の前に立ちはだかるのがウィーン・マルガレーテです。

『Butterfly Wing』好きすぎる

ウィーンは言うなれば「闇堕ち澁谷かのん」です。
最初のかのんと同じように、ウィーン音楽学校に不合格という挫折をして、どうすれば輝けるのかを見失っている状態です。

かのんは「①手を取り合って」「②過程を大切にして」ステージに立ちました。
しかし、ウィーンは「①自分ひとりで」「②結果にこだわって」歌います。

10話のラブライブ東京大会でどちらが勝つかは、1期から話を追っている我々には明白ですよね。

①ソングフォーミーだけでは、「スーパースター」は描けません。
②努力は結果によって報われるものではありません。

もちろんパフォーマンスは圧巻ですが……

ウィーンは『エーデルシュタイン』で、「私は私を信じ輝くの」と歌いました。
しかし、Liella!の輝きはむしろ「私を信じられない」という悲観からスタートしているからこそ、手を取り合って強く光るのです。

『Sing!Shine!Smile!』
「もしも過去と未来 どこへだって行けてもきっと
ここにいるよずっと この瞬間君と噛みしめるんだ」

「一瞬の輝き」を大切にするラブライブらしい楽曲

ウィーンも3期になってからが本番のキャラクターなので、3期の記事で詳しく語りたいと思います!

同じく2期から登場した『虹ヶ咲』の鐘嵐珠との比較も面白い

5.私を叶える物語

・「一瞬の輝き」の本質

11話『夢』で、かのんに海外留学の話が来ます。
かのんの夢は「世界に歌を響かせたい」なので、かのんにとって夢への大きな一歩です。
しかし、かのんの答えは「留学しない」でした。

かのん「スクールアイドルになって、歌が大好きってまた言えるようになった。この喜びを重ねていくことが私の目標のひとつなんだって」

「目標のひとつ」という歯切れの悪さ
実際の場面では「この学校のみんなと一緒に、もっともっとハッピーな気持ちになりたい」など、たくさん喋っており、言葉を重ねて誤魔化しているように見える

これに対して千砂都は「かのんちゃんに留学してほしい」と伝えます。
一体、なぜなのでしょうか?

1期11話で千砂都がかのんに独唱させたのを思い出す展開

ここでポイントになっているのは、「いま楽しい」は「一瞬の輝き」の本質とは異なるということです。

ラブライブシリーズで描かれている「一瞬の輝き」とは、夢に向かって努力する瞬間のことです。
それに対して、かのんが言っている「喜び」は、ただ「今みんなと歌う歌が楽しい」という「一時の感情」に過ぎません。

スーパースターの原点は、「私を叶える物語」です。
スクールアイドルも、Liella!も、究極的には自分の「夢」を叶えるための手段だったはずですよね。

かのんの発言は、Liella!を想うあまり、手段が目的化してしまっています。
千砂都は、かのんの心情を見抜き、原点を思い出させるために「留学してほしい」と伝えたわけです。

千砂都「世界に歌を響かせるんでしょ!?」

これは余談なのですが、可可は随所で「一瞬の輝き」よりも「一時の感情」を優先している描写があります。

1期の記事でも少し触れましたが、意外なことに可可は「夢(=叶えたい私)」を持っていません。
スクールアイドルへの強い熱意はあるものの、目指しているのは「みんなで楽しくスクールアイドルをすること」であり、本質的な自己実現ではなく、「いま楽しい」を享受するためにスクールアイドルをしています。

可可「クゥクゥはみんなと楽しく歌っていたいのです。
それがクゥクゥが夢見た、スクールアイドルなのです」
果たしてそれは本質的な「夢」なのか?

だから、シリアスなぶつかり合いの場面などで、可可は真っ先に回避しようとしますし、泣きながら止めたりするのです。

可可「やめてください!」
9話『勝利のために』の話し合いでの一幕は、
可可の気持ちも痛いほどわかるものの、
グループにとって必要な衝突でもあった

それ自体は可可の優しさでもあるのですが、とにかくこの「可可には夢がない」という大問題を上手く隠しながら話を進めて、それでいて伏線は仕込んでいるバランスがすごいなと思います。

3期6話『タカラモノ』では、流石に全人類が号泣したと思いますが、この話をあそこまで引っ張った判断がスバラシイです!

神回

今回の記事では深掘りしませんが、ちょうどいいタイミングなので付記しました!

・Liella!が解散しない理由

12話『私を叶える物語』にて、かのんが留学を決意すると、千砂都は言います。

千砂都「かのんちゃんがいないLiella!はLiella!じゃない。それが、私達の出した答え」

「かのんの力になるため」にスクールアイドルを始めた千砂都が言うと重い

しかし、かのんは「Liella!は続けてほしい」と即答します。
3年生の卒業に伴い解散したμ'sとは、真逆の結論ですよね。

迷うことなく解散を却下

なぜこの答えになったのかは、「きな子を受け入れた理由」でもあり、「夏美との夢の共有」でもあります。

つまり、手を取り合って築いたLiella!の絆においては、もはやLiella!に所属しているかどうかすら関係ないということです。

「私(かのん)」の夢は、「みんな」の夢でもあります。その逆も同じで、「みんな」の夢はかのんの夢でもある。
この繋がりを築いてしまえば、かのんがLiella!に所属しているかどうかなど、もはや問題ではありません。

もちろん日本とウィーンという物理的な距離も関係ない

裏を返せば、所属と関係なく繋がっているのだから、Liella!は解散してもいいのだと思います。
しかし、「かのんがいないLiella!はLiella!ではない」という考え方は明確に間違っている。
そう感じたから、かのんは「続けてほしい」と言ったのではないでしょうか。

かのん「離れていても勇気がもらえる。Liella!を感じていられる」

そして迎える、ラブライブ決勝での『未来の音が聴こえる』のラスト、手を繋いで星を作る9人。
かのんが「これが私達のラブライブ」と言う場面はシビれましたね。

手を繋いで作った「スーパースター」だぁ……(号泣)

なんとなく察しが付くかと思いますが、この「Liella!が解散しなかった理由」の話は、3期に繋がっています。

なぜかのんはLiella!を抜けたままで活動するのか? 『Let's be ONE』の「いつだって僕らひとつなんだ」とはどういう意味なのか?

さぁ進もう、3期へ──

・2期生の選択の重み

……と、終わる雰囲気を出しましたが、「Liella!はみんなの夢をみんなで見ている」という話について、どうしても触れておきたい場面があります。

それは9話『勝利のために』での、きな子達1年生の「選択」です。

この回ではウィーンとの対決にあたって、すみれが「勝つには2年生だけで出るべき」と言い出し、当然かのんがブチギレてとんでもない空気になります。

すみれは可可のために憎まれ役を買って出たのに、
可可が泣いてしまうのがツラすぎる

最終的に「9人」で出場することは視聴者目線ではわかっているため、クゥすみの尊さに引っ張られて、皆さん(というか視聴1周目の私)が見逃してしまうのが、きな子達の意思表明の場面です。

2年生のぶつかり合いを受けて、1年生も話し合いを行います。
そして、すみれの元を訪れ、手を繋いで歌った後、こう言います。

メイ「次のステージには立たない」
夏美「東京大会は2年生5人で立つんですの」
四季「そして、私達に……」
きな子「勝つところを見せてくださいっす!」

そう、1年生はLiella!の勝利のために、自分達はステージに立たない決断をしたのです。

『勝利のために』というタイトルを回収しているのは、実は1年生の選択

2話できな子が練習のレベルを下げないで食らいついた努力や、6話で「2年生に追いつきたい」と1年生だけで合宿していた姿、「『Starlight Prologue』を越えたい」と目を輝かせて語る姿など、私達は1年生の「本気」を見てきました。それなのに、です。

このアツい選択を、「チームの勝利のためにグッと感情を抑えて合理的な選択をしたんだ」と解釈してしまうのは、ちょっともったいないと思います。

きな子達は理解したのです。
きな子達が東京大会のステージに立たなかったとしても、かのん達と同じステージに立っているのと変わらないと。

意味不明ですが、ここに「みんなでみんなの夢を見る」という強固な繋がりの力が表れていると思います。

世界一カッコいい「お願い」

6話できな子は「夢」を語ります。
「きな子達が入って、1年生が増えたから、このステージ(『Starlight Prologue』)を超えることが出来たって、Liella!はパワーアップしたって」

1年生全員の想いはひとつ

ラブライブのステージに立つのは2年生の5人かもしれない。
しかし、1年生の4人の輝きが加わって、Liella!は間違いなくパワーアップしました。
だとしたら、きな子達が実際にライブに出ないとしても、Liella!に貢献できていますし、きな子達の想いは叶っているのです。

1年生がステージに立たない選択をしたのは、実力不足を自覚して、勝つ自信がなかったからではありません。
むしろ自分達の存在意義を認めた上で、自信を持って「私達はステージには立たない」と選択したのです。

そこには1年生の成長と、Liella!というグループの強さが詰まっており、だからめちゃくちゃアツいのです。

「みんな」の夢は「私」の夢だから、1年生が叶えなくてもいい。
想いの繋がりを再確認した上で、1年生は「出ない」という不参加ではなく、逆に積極的に参加して2年生に「託した」わけです。

もちろん、ラブライブでは「目標」が達成できなくても問題はなく、
「過程」の方が重要なので、最終的には9人で出場する

6.おわりに~Let's be ONE~

というわけで、2期では「夢・努力・能力」の問題について、ほぼ全パターンの救済を行いました。
Liella!はラブライブ優勝という目標を達成し、「私を叶える物語」という原点も再確認できたのです!

いやー、すごかった。今度こそもう終わりでいいですよね。
3期でやることなんてありません。お疲れ様でした!!!

そう思っていた時期が私にもありました。

全員救済と言いつつ、これでもまだわずかに「抜け漏れ」があるのです。
もちろん、『ラブライブ! スーパースター!!』という作品が、この穴を許すはずがありません。

かのんの項目にまとめているが、
1期生の中には「夢」を持たない者もいる

まず、単純に「夢✖ 挫折○ 能力○」のパターンが抜けています。
さらに、夢を持たない者が選択した「夢の模倣」「夢の共有」には、実は大きな問題が潜んでいるのです。
そして、ついに可可の過去が明らかになり、未来に向けて重大な選択をすることになります──

執筆時点で3期9話放送後なのですが、いや3期も本当にすごすぎます!!!

というわけで、また3期の記事でお会いしましょう!
前回と同様に「オタク執筆後記」も別記事で更新するかもしれません!
どこかで「声優」「ライブ」の話をしたいなと思いつつ……!

ここまで、世界一長い考察記事をお読みいただき、ありがとうございました! 本当に長すぎてすみません!
引き続き、よろしくお願いします! ギャラクシー!


※記事内に用いた画像は、すべて考察を目的として引用しています。
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