短歌がわからなくなる
気付けば短歌を作りはじめて一年くらい経過していた。
ほぼ毎日短歌をつくり、うたの日ではちょこちょこ薔薇をいただけるようになった。
うたらばと短歌くださいで採用をいただけたり、NHK短歌で佳作もいただいた。
一年目のビギナーとしてはまあまあ成績はいい方なのかな…?
でもXを見るとすごい人がたくさんいるから自信はない。
最近はなんとなく、短歌というものがわからなくなってきている。
今短歌について思うことを書くとこんな感じ。
・短歌に触れる機会が多くなって、テクニックが少しずつ身についてきたからなのか、「うまいこと言ってる風」「うまいことしてる風」な自分が出てきて居心地の悪さを感じる。
・採用されるために、共感を呼ぶために、いいねをもらうために私は短歌を書いているのだろうか?
元々評価をされる立場になるととことん従順で優等生っぽく振る舞ってしまう性格なのもあり、この現状は自分の幅を狭めているのではないか?と思う。
もっと開放的に自由につくってもいいんじゃないか?(だけどそれがまたよくわからん。)
・現状ひとり黙々と孤独に短歌をつくっているが、もっと誰かと関わってみたほうが違う刺激があっていいのかな…と思う。でも怖いな…。自分にとって自分を自由でいさせることはかなり重要なので、もし縛られるようなことがあったら苦しいかもしれない…と、踏み込めないでいる。短歌会とか、一度チャレンジしてみたいけど…。悩。
・短歌とはなんだ?
自分が感じたこと、思ったことを書く、というのとは少し違うのは分かる。
この世界の小さな現象、空気、景色、気持ち、五感で感じうるもの、感じた気がするもの…それを定型という制限の中で表現する。
言葉が言葉を超える。言葉の外に世界が広がる。短歌はそういう魔法かもしれない。
これは「起きられない朝のための短歌入門」を読んで思ったこと。
これまで意識していなかった短歌の深い深いところに気付かされ(まだ理解できないところもあったけど)、その途方のなさと面白さ、恐ろしさを感じている。
わたしはこの先も短歌をつくれるのか?短歌と向き合っていけるのか?短歌とはなんだ?
自問自答している。
難しい。
最近は適度に酔っ払った方が短歌をつくれる気がする。シラフだと考えすぎる。
小難しく考えるのはやめて、無意識の割合をもっと大きくした方がいいのかもしれない。
短歌でもそうだし、実生活でも。
それがまた難しいんだけど。
まあ、いろいろ実験もしながら、飛び込みたい場所があれば飛び込みながら、2年目も短歌をつくり、読み、考えていきたいと思う。