書評『つなみ てんでんこ はしれ、上へ!』
2011年3月11日 14時46分に東日本大震災が発生し、9年が経ちました。今年は感染症対応のために、震災関連行事が中止・縮小となり、個人的にはとても心配しています。
過去を想う行事が一度縮小されてしまうと、以降、元通りの規模に戻すことはとても大変だからです。
なんとなく、縮小された規模のまま、もしくは、さらに規模が縮小されてこの震災の記憶が一層薄れてしまうのではないか、そんな風に思いました。震災から9年目の日に娘に持ち帰った本がこちらです。
Amazonより 内容紹介、著者情報
内容紹介 2011年3月11日。東日本大震災のあの日、大津波をみんなで生きのびた釜石の子どもたちのドキュメント。
著者情報
指田 和 出版社で子どもの雑誌、家庭雑誌などの編集を経たのち、フリーとなる。いのちや平和、自然に関するテーマにひかれ、取材し作品にしている。
伊藤 秀男
画家・絵本作家
釜石の奇跡とは
東日本大震災の時、宮城県釜石市の小・中学生は99.8パーセントの子どもが命を守りました。
内閣府のウェブサイト
ウェッジの記事
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312?layout=b
なぜ、釜石の小中学生は、未曽有の大震災の時に命を守ることができたのでしょうか。
徹底して行われていた平時の防災教育と てんでんこ
それは日頃から学校だけでなく、地域全体で避難訓練を繰り返してきたからです。本書の中に、小学校1年生が「きょうのは、ほんとのひなんくんれんだよね?」と尋ねる場面があります。
緊迫した中にもほほえみを誘うこの1シーンが、釜石の奇跡の源なのです。
私は2018年の春に、震災と復興を学ぶために釜石の地に居ました。そこで震災時に小学校6年生だった女の子の話を聞く機会がありました。
彼女は、放課後友達と海辺で釣りをしており、大きな揺れに遭ったそうです。その後釣りの友だちと一緒に山の上のお寺に逃げ、そのお寺で子どもたちだけで4日間過ごしたそうです。
地震発生時に海辺で友達と釣り…危険な状況を聞いて私は身が震える思いでした。子どもたちだけで山へ逃げる判断をしてすぐに動き出したことに
「子どもだけだったのに、すごい判断だったね」というような声を、私はその時彼女にかけた気がします。その際の彼女の返事が
「私たちは、いつも てんでんこ って言われていたから。」
小さな声でした。でも、私にとっては本で読み、知識で知っていたことと、実際の命を守る体験がつながった瞬間で、体に電気が走るような感覚でした。
地震 てんでんこ (津波 てんでんこ)、それは 大切な家族と自分の命を守るために、地震が起き津波の危険性が迫る時には、誰かを待たずに一人で逃げること。
文字にすると簡単なことかもしれません。でも、大切な家族が逃げ遅れるかもしれない、家で待っているかもしれない、
大きな揺れで不安が募る中、そんな気持ちにさいなまれて、子どもはつい家に帰りたい、誰かを待っていたいと思ってしまいます。
私の命も家族の命も大事。だからみんなで生き残るために、相手を信用・信頼して一人で逃げる。
釜石の子どもたちは、訓練の通りに一人で逃げました。そして、一人で逃げるだけではなかった。
道すがら、子どもたちは助け合って逃げました。年長の子どもは、年下の子どもの手をひいて。逃げる道すがら、お年寄りに声をかけながら。
高台に必死で逃げる子どもたちの姿を見たから、逃げようと思ったというお年寄りの証言が残されているようです。
そして釜石は今…
釜石には震災後、多くの人が東京や大阪など東北以外の地から集まりました。釜石の魅力に惹かれて、釜石に集まってきた若者に惹かれて、意欲的で行動力のある人たちが集まって行動を始めました。
そして、釜石市はコンパクトシティとして復興し、ショッピングモールを誘致していち早く生活インフラを整え、産学連携して産業を盛り立て、魅力的な人にスポットを当ててつながりを強めていきました。
私は震災、復興学習の機会に、海と山の恵み豊かな釜石のまちの魅力とパワーを感じることができました。
ちなみに釜石は高い防潮堤を作ることをしませんでした。釜石の人たちにとって、なじみ深い海は意識から遠ざけることができなかったのです。新しい民家は海から離れたところに建てられています。
鉄鋼のまち、ラグビーワールドカップ開催地になった、釜石。
2019年ラグビーワールドカップの開催地の1つとして、世界のラグビーファンに知られることになりました。鉄鋼のまちだった釜石は、企業ラグビー「新日鉄釜石」のホームタウン。今や鉄工所はなく、オフィスが残るだけですが、本書にも出てくる鵜住居に建てられた、自然の中のラグビー場でワールドカップが開催されたのです。
残念ながら台風のため試合が1回中止になりましたが、その際にカナダチームが台風被害の処理を行ったニュースは世界をめぐりました。
そして今、釜石では中止になったナミビア対カナダ戦を再び釜石の地で行う構想が進んでいます。
震災と、子どもたちと、ラグビーと
鉄鋼のまちとして栄えた釜石。
生きるために、家族を信じて「てんでんこ」で命を守った子どもたち。
外からの風を入れ、内なるリソースを活かしながら未来に向けてまちのエネルギーを高める現在の姿。
それぞれバラバラな事象はすべて見えない糸でつながっています。
おわりに
震災などの災害時に、人は立ちすくんだり、迷ったり、誤った判断をしがちです。
しかし、平時に訓練を何度も何度も繰り返し行って、習慣づけられた指針があれば、人は迷わず判断して動くことができます。
自分の命も、家族の命もとても大切。
だからこその、てんでんこ。
それは愛する気持ちと信頼する気持ちがなければ、実行できないものです。
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