ところで神話画の始まりはいつ?〜絵画のヒエラルキー〜
新国立西洋美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 愛を描く」では美しい神話画がいくつも鑑賞できます。
ところで、イタリア・ルネサンスの気運とともに描かれるようになった神話画って、いったいいつ頃からなのでしょうか?最初の作品ってわかっているのかしら?ちょっとその辺りを調べてみました。
王立絵画彫刻アカデミーの創設
ルイ14世の第一画家シャルル・ル・ブランは、ヴェルサイユ宮殿やルーヴル宮殿の内装を担当しましたが、家具調度品から壁画にいたるまで王を称揚するためのプログラムに基づいて華麗に宮殿内を装飾しました。1648年には彼の尽力によって王立絵画彫刻アカデミーが設立されました。アカデミーの設立によって美術は国家の統制下におかれ、美術の振興と教育、そして展覧会を組織していきます。そして1692年にはルーヴル宮殿内にアカデミーが収容されて、現在では世界で最も入場者数の多い美術館となって私たちの目を楽しませてくれています。
アカデミー設立当時、世の画家や彫刻家たちは一般的には職業同業者組合に属する「職人」という立場でしたが、アカデミーでは自由学芸の担い手である知的・社会的エリートとしての「芸術家」の地位へと引き上げようとします。そこでル・ブランは「芸術家」としての理想的な人物像を彼の師であるニコラ・プッサンに重ねています。
プッサンは官僚貴族の家柄に生まれラテン語教育を受けて育ったエリートで、両親の反対を押し切って画家になりました。プッサンが受けた教育による豊かな知識と教養、貴族的な品性と道徳観、これらはアカデミー会員の理想像として映ったのです。
「フォルムと構成」を重視して感覚よりも知性と理性に訴えようとするプッサンの制作姿勢と理論は、ラファエロから学んだものであり、そのラファエロ自身はレオナルドやミケランジェロといった先輩画家たちから貪欲に吸収して自分のものとした芸術規範でした。それはイタリア・ルネサンス期のローマの古代美術に範をとったディセーニョ(素描)を重んじる規範でした。その後、絵画において重視されるべきは「素描」であるか「色彩」であるかの論争が起こりますが、それはまた別の機会に譲ります。
絵画のヒエラルキーの頂点「歴史画」
フランス・アカデミーでは芸術の主題としてふさわしい絵画の序列がありました。最も価値が高いのは「歴史と物語」を題材に群像を描く歴史画でした。次に肖像画、風俗画、風景画と続き、静物画は序列の最後でした。
歴史画とは歴史的事件や神話や宗教を主題とした絵画であり、ときに神話画と宗教画は歴史画とは切り離して個別に考えられたりもします。主題と様式の双方においては古典古代の伝統を取り入れた絵画を指していて、ルネサンス以降に確立されていった理論体系に基づいています。これにはフランスがお手本としたイタリアで1435年に著されたバッティスタ・アルベルティの『絵画論』が参考になりそうです。
アルベルティの『絵画論』
レオン・バッティスタ・アルベルティはフィレンツェの銀行家の一家に生まれした。法律やラテン語を学び、ローマ遺跡で古代建築の研究をした建築家であり、さらにはローマ教皇庁で書記を務めるなどいわゆる当時のエリートでした。同時に画家でもあったアルベルティはどこかプッサンと生い立ちが似ていますね。
アルベルティはラテン語とトスカーナ語(イタリア語)で『絵画論』を著しましたが前者は人文学者らのパトロン向け、後者は画家たちのための理論書でした。これには自ら画家でもあったアルベルティがイタリア・ルネサンスという新潮流を擁護し、絵画を自由学芸に並ぶものとして「職人」から「芸術家」へとその職位を引き上げようとした狙いもみられます。アリストテレス、プリニウス、キケロなどの古典を論拠として引用した叙述はイタリア・ルネサンスの気運にあった当時に説得力をもたらし、後のピエロ・デッラ・フランチェスカの『遠近法論』やレオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画の書』に影響を与えています。
『絵画論』にみる「歴史画」とは
アルベルティは『絵画論』のなかで「歴史画」について以下のように言っています。
このあたりの言及は、ルーヴル美術館展の神話画を想起させませんか?
描かれているものそれぞれがほどよく配置されて画面を構成し、その色彩の豊かさと絶妙な筆触にため息まじりの感嘆、なんて体験を表しているように思います。
さらに、こんなことも言っています。
イタリア・ルネサンスの画家たちが人体を立体的に描き出そうとして遠近法などを駆使して素描を重視したことと、その頃から人物の感情表現や身ぶりが大きく表現されていくこととつながっていますね。
アルベルティの『絵画論』から200年ほど経過して設立されたフランスの国立絵画彫刻アカデミーにおける絵画のヒエラルキーの元となる思想はこうしたイタリア・ルネサンスの絵画理論に紐づけられているのでした。
それではここでいう最初の「神話画」は?
「宗教画」はすでに長い伝統があり、脈々と受け継がれていましたよね。それに対して「神話画」は中世にはいるとキリスト教の影響下でほぼ描かれなくなり(異教の神ですものね)、ようやくルネサンス期になって再び描かれ始めます。有名なサンドロ・ボッティチェッリの《春》は1477−78年頃、《ヴィーナスの誕生》が1485年の制作。
それより制作年代が早いものになると、ピエロ・デッラ・フランチェスカの《ヘラクレス》で1465年頃の作品だといわれています。20数点ある画家の作品の中で唯一世俗的な作品であり、おそらく画家の自邸にあったフレスコ画の断片と考えられていて、現在はボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に所蔵されています。
ピエロらしい身体性は本作でもしっかりわかりますね。ピエロの清明な色調と静かでゆるりとした時が流れているような雰囲気、好きです。
それにしても、講義でも他の宗教画ばかり扱っていたのでこの《ヘラクレス》のことは知りませんでした!素敵だな〜。
この作品より古い絵画はさかのぼることができなくて、分かりません。ここで留めておきます。絵画ではないけれど、彫刻家ジョヴァンニ・ピサーノが《ピサ大聖堂説教壇》を支える柱にヘラクレスと思われる彫刻を残しています。説教壇の制作年代が1302年から1310年ということなので、14世紀初頭。
ヘラクレスのアトリビュート(棍棒とライオンの毛皮)が確認できます。この説教壇には他にも「羞恥のヴィーナス(ウェヌス・プディカ)」のポーズをした女性が彫られています。
ギリシア・ローマ神話がわかると「神話画」の面白さ倍増
必要に応じて読んでいたギリシア・ローマ神話。今回の展覧会を契機として全体を理解したいとぼちぼち読み進めているのですが、まーオモシロイこと。神様たちって自分が法律みたいなものだからやりたい放題ですね。女神たちもキャラがたってる!ヘラもアプロディテ(この読み方が好き。ヴィーナスのことです)もじつは嫉妬深くてすごいw
オウィディウスの書いた『変身物語』は絵画制作の典拠になっていることが多いようです。拾い読みしただけなので通して読もう。それからホメロスの『イーリアス』やヘシオドスの『神統記』など積読の森に分け入る・・・予定。ついでに神様の系譜を手書きしてみたらゼウスの妻と愛人にその子たちを並べるだけでページがエライコッチャ!になってしまったよ。でも手書きしたおかげで関係図がかなり頭の中に入りました。やってみるものですね。
それでは、今回はここまで。まとまりなく終わります。