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27歳5ヶ月

久しぶりにnoteを書きます。
加茂慶太郎です。

『一等地』ツアーが終わりました。とても大きな経験でとてもすぐに言葉にできないのでここではまだたいして言及しませんが、ご来場くださった方々、応援くださった方々、本当にありがとうございました。


大好評も大不評もいただいて、熱のこもった感想も淡白な感想もいただいて、ぜんぶ、今後の活力に既になりはじめています。

やはり横浜公演が、自分にとってはインパクトが大きかったです。
STスポットは憧れの場所でもあり、神奈川は僕が育った土地でも一応あって。
首都圏は舞台芸術の活動人口も多いし、なんか名乗りを上げるじゃないけど、そんな面もあったりして。

今作でひとつ、作家(演出家でもある)としてのやるべきこと・やりたいことがクリアになったというか、自分の作風・スタンス・スタイルみたいなものを掴み始めた感触があります。
それが「光景」のみでやることなのか、今後自分の作る作品に通底していくものなのか、まだ分かりません。





最近、今年になって、コンテンポラリーダンスを観るのが好きだと気づいて、これまで全然知らなかったからまだあまり数は観ていないのだけれど。
自分がやりたいのは”演劇”じゃなくて実はそっち方面なのかもしれないとすら思う。

今のところ加茂なりの”コンテンポラリーダンス”≒”ダンス”の捉え方、一番それを支えていることとして感じているのは、「そこで何かに取り組んでいること」だと思う。

「◯◯を表現する」とか、「しゃなりしゃなりとキレイに動く」とかじゃなくて、すごく「行為」として捉えている。

これは『一等地』にすごく影響を与えていた。

なにかを表現するとかストーリーを提示&明示するとかじゃなくて、居ること・行為があることを基本としていた。
意味や言葉と距離をもつというか。
でもこれをしていて、これは演劇なのだろうか?と思ったりしていた。
”演劇”には「演じる」こと、「劇」があることが必要なのかもしれない。

でも、いただいた感想の中には、『演劇だった』というお声も複数あった。




最近、劇場になにかを観に行くときに期待している・重視しているのは、「そこでいま自分になにかが生じること」である。
今年はじめてNODA・MAPを観て、自分は楽しめなかった。

すんごい馬鹿みたいに言ってしまうと、こんなにすごいこと考えたんだよ、一本の作品にまとめ上げたんだよ、と舞台から言われているような気がして、作者の手のひらの上から出られないような気がして、客席で不自由を感じていた。

なんかもっと自由で、作品との関わり合い方がこちらの能動に委ねられる、バトンが預けられている方が自分は楽しいのだな、と思った。


これは、言語や言葉・物語という、演劇を支える大きな要素と自分の関係性が不健全というか、世間一般と異なるというか、そういうことなのだなと思う。
今のところの僕は、言葉や意味を放られてそれに呼応する”自分”がないのだ。

なにかセリフがあったとして、それは言葉で構成されているのだろうけれど、その言葉が空間を漂って耳を通って僕の身体に入ってくる。
その言葉が、意味としての像は結ぶけれど、身体で何にも引っかからずに、実感を伴う前に身体から出ていってしまう。

これは、今の僕が、自分のことを言語(だけ)で把握していないからだと思う。

言語で把握していたら、身体に通っていく前に脳の段階で何かしら実感を伴うのではないか。


言語じゃなくて何で把握しているかといえば、もっといろんな感覚で把握している、ということになろう。
身体の感触とか、言葉になる前のイメージとか、もちろん言葉もあるし、いろんなものとの関係性とかもあるだろうし。
なんかその感覚を同時進行で走らせながら受容することができると、楽しいな、と感じる気がする。

これは、演劇の客席で可能なことのように思うし、それを目指したいし、期待もするし。


だから僕はけっこう、舞台上にあるものが薄味でも満足できてしまうのだと思う。

これは、『一等地』を発表していくなかで感じた。
自分の「楽しい」はけっこう特殊なのかもしれないぞ。
世が演劇に期待する風味とは違うのかもしれないぞ。

このチューニング、これからの俺、どうする?




そろそろ福岡市に住むのをやめたいなと思い始めている気がする。

住んで8年、”福岡市に住んでいる”という実感はめっちゃ持てていると思う。実家のある地元以上に。
初めて一人暮らしをしたし、原付で走りまくって土地勘もあるし、基本的ないまの自分をつくっているコミュニティはこっちに来て出会った知り合いばかりだし。

演劇とかする分には別にいいんだけど、自分は一応人間なわけで、経済の側面がつきまとうときに、ちょっとこの都市はしんどいと最近感じるようになってきている。


福岡。
ここの土地は、『成功しているやつが偉い』『強いやつが勝ち』『支持を得ているのが正しい』みたいな空気がある。
『まとも』がすごくある。
この尺度に疲れたというか、もう最近とこれからの自分には馴染まなくて、結構勘弁して欲しくなってしまっている。
でも福岡はけっこう好きなので、糸島とか、福岡だけど田舎、かつ遠すぎないエリアに引っ越そうかなと思っている。
そういう空気に混ざるときはきちんと覚悟を持って混ざる、じゃないけど、ちょっと物理的に(でも、すこしだけ)距離を取りたい。

この感じ方はめっちゃ主観的だから分かる人も分からない人もいると思うし、なによりそれが好きで福岡に住んでいる人が多勢だと思う。

商人の町だからか、九州で一番の都会だからか。
そういう雰囲気の、合う部分だけうまく搾取する生き方をしていきたいなぁ。


貧乏なのは別にいいわもう。
でも、舞台芸術の作家として生きていくわけで、それは興行という側面を切り離せないわけなんだけど。
いっぱいのお客さんに観てもらってるから良い!勝ち!みたいな尺度は自分には全く無くて、でも、「これが好きだなぁ」と感じる方にはぜひ観てほしい。
収入を得たいとかというよりは、せっかく作品をつくるのだし、それに価値を感じる人に消費してもらえるようにしていかないといけない。
そういう方々には、出会っていかなきゃいけない。
まだ全然見つけてもらえていないから。
未知の人に出会っていくために、広報とか頑張んなきゃいけないし、ある程度有名になっていかなくちゃいけないと思っている。

だからある程度都市にも接続していたいというか。
広報とかホント苦手で、今まで全然頑張れていないんだけれど、これからこういう目的をちゃんともって、がんばってやっていかなくちゃ。




「演劇で食っていく」みたいなことを目指すのをいったんやめた。

最終的にはそれを目指している。
けど目指す道を絞った。
「作家として食っていく」これだけを目指すことにした。

作品が買い取られるとか、劇場から依頼を受けて新作を作りおろすとか。最終的にそういう仕事をしたいし、(舞台芸術の分野ではもう)それしかしたくない。


これまでは制作とか舞台監督とか宣伝美術とか、収入源になりうる演劇のいろんなチャンネルを持っていて、絞っていなかった。
それらトータルで「演劇(に関すること)で食っていく」みたいな雰囲気だったんだけど、やーめた。


なるべく早く、そういう作家になりたい。
それまではバイトとかしていくと思う。フツーに。




高校まで競泳をしていて。
すっごく嫌いで、イヤイヤやっていた。

朝も夜も泳いだりして、休みの日も少なくて、すっごく時間も体力も費やしていたし、最終的には同期のエースのお陰でインターハイに出られたりもして、でもそれは自分はぜんぜん、そのレベルの選手じゃないから別にそんなに自己肯定感とか自信に繋がったりもしなくて、なんかほんと、なんのためにアレ頑張っていたのか今となっては分からなくて、貴重な10代をすごく無駄にしたと思い始めている。


胸板が厚くなったり、身体のことが少し分かったり、キレイに泳げるようになったり、特技ができたりはしたけど。
泳げないよりは泳げたほうがいいし、それは本当に、習いごととして初めに身に付けさせてくれた親に感謝している。
しかも、大抵の「泳げる」よりもよっぽど高次元で泳げることはひとつ自分の何かしらの支えになっている。
けど、なんか必要以上にそこに向き合い続けていたのだと感じる。

水泳のことは人に教えられる。
きれいに泳げるようになりたい、速くなりたい、楽に泳ぎたい、メニューの組み方が知りたい、新しい泳法を身につけたい、水と仲良くなりたい。これら全部、ニーズを汲み取ったうえで懇切丁寧に伝授することができるので、もし需要があれば、レッスン承ります。

いやそこに着地するんじゃなくて。


ほんとなんだったんだ。
来る日も来る日も、やりたくないことに向き合っていて、逃げることもせず、イキイキもせず。
重い足をプールに向けて進めながら、でもそれが完全に止まってしまう、みたいなことはなくて。
そのなかで確かに精一杯頑張りながら上を、つまりはスピードを目指していて。

なまじっか幼少期に泳げてしまって、スイミングスクールで”選手コース”みたいなところに入ってしまって、競泳人生がスタートしたんだけど、小学3年生くらいの頃からどんどん好きじゃなくなっていて、いつでも辞めるタイミングはあったのに、意志が弱くて自分で辞めることができなかった。
これまで続けてきているのがもったいない、とか。
中学に入って部活を選ぶときも、「オレには水泳しかないしな」みたいな。全然好きじゃないのに、その、「全然好きではない」という部分、自分のなかの想いを自分自身ですごく軽視して、自分の選択で、自分の意志で続けてしまった。

高校まで水泳を続けていたことは、もはや親とは関係なくて、自分がやっていたこと。
そこで嫌なことを嫌だと認識すること、自分のストレスを正常に知覚する神経がおかしくなってしまったと思っていて、最近その異常性に気づいた次第。


これ、わりと最近まで、自分の中では、「ツラいことを頑張り続ける耐性がついた」とポジティブな経験として認識していたんだけど。

最近、新しく始めたバイトが精神的にかなりキツくて、1ヶ月でもうムリで辞める選択をしたんだけども、なんでうまくいかなかったのか自分でもよく分からなくてかなり、かなり、ツラい期間を(本番直前に)過ごしていたんだけれども、それで、「あぁ、じゃあ、競泳で得た耐性みたいなのって実は違ったんだ」と認識した面もあって。


小学校から私立で、けっこう学力とか重視されるところで、クラス分けも学力別でだいたい一番上だったし、わりと運動もできて、マラソン大会とか優勝してたりしたし(水泳のおかげな)、高校までエスカレーターで、大学入試も浪人せずに”旧帝”というラベル付けのところに入れてしまったし、なんか自分、結構高スペックみたいな自覚がかなり根強くあったんだよな。
「自分はすごいやつだ」みたいな。
世界の見方もそんなふうに捻れてしまった、と今の自分からしたら思うし、これにめちゃくちゃ振り回されてしまった。
自分で自分を振り回していた。

自分がかなり「まとも」だと思っていた。
けどまともじゃねぇぞこれ。
と気づいたのが今年。27歳。

恥ずかしいですよこれは本当に。

まだ振り回されている途中だけど、ちゃんと今の自分で判断していきたい。


ちなみに競泳は大学でもやったんだけど。
これはそれまでとちょっとちがくて、すごい悩んで決めただけあって、メニューも自分がいま何が必要か、とか考えて組んで、前向きに取り組めていた。
高校の時より速く泳げるようになったし、泳ぐことに納得していた。
だからべつに、競泳とか、泳ぐことは、最終的には自分のなかでそう悪いモノじゃなくなっている。

「納得」っていうのが、やっぱりすごく大事なんだと思う。
高校までも自分で選択していたけど、周りのせいにできてしまっていたりしたし。納得には至ってなかったんだと思う。


いま、舞台芸術を「やりたい」と思ってできていて、そこで「納得」を掴もうとしていることが幸せである。




競泳はスポーツなので速いほうがエラいという強烈なルールがある。
それはそうである。

それはそうと、そういう分野以外のことについては、いまはけっこう、なんにしても、「いうても何が正しいかわからんしな」と思っている。




自分の脳裏に浮かぶと思わずアツくなる、なにか言い表せないものがこみあげる、超エモくなる、そういう光景がある。

ありますか?


自分はそれが、なんかすげーガキの頃だと思うんだけど、実際にそんな事があったか定かではないんだけど。

たぶん親父が運転している車で、たぶんその当時実家の車は赤いマスタングのセダンだったんだけど、その後部座席のなぜか真ん中に座っていて。光景の中だと。
それで、海沿いらしきところを走っているのか止まっているのか、景色はすごく、どこか黄色い色素を持ちながら、露出オーバーで白く飛んでる写真みたく光っていて、その光を自分は正面の窓ガラスから受けていて、車内にはサザンが流れている。

そういう光景。

匂いも付いてるんだけど、その光景を見るときしか鼻の奥にメモリが呼び起こされない匂い。

その光景は見ようとしても見れない。


この光景を見るときの身体を、人生のうちであと何度か体験したいんだよな、と最近思っている。




自分は思考をいくつも並行させながらゆっくりと進めるタイプで、いまの時点で言葉になっていたりなっていなかったりするものたちをたくさん含みながら、携えながら存在しているのだな、とさいきん思う。

そのせいで、いろいろなことを「とりあえず保留」の態度で、受け取るだけにしようとする。

基本的に、それは世では良くないことだと思うんだけれど、その是非はこれもいったん断定できないという態度を取りたい。

ダメかい?




お元気で