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出会い
君代が工場に出るようになると同時に、焼き鳥屋の務めを辞めた母親は、
家に入り浸り、すっかり13歳の娘の稼ぎを当てにするようになりました。
何処で手に入れたのか、軍用の携帯型の水筒に焼酎を入れ呑んだくれ、
酔いが回るとそれを枕に高鼾を決め込む始末。
子供たちは?といいますと、幼いながらも浜に出て流木を集め、
表皮を剥がしては軒下に積み上げ乾燥させておき冬の燃料の確保をするな
ど、生活の糧となることなら懸命になって体を動かしていたそうです。
着ている物は継ぎはぎで極貧極まりない環境でしたが、まだ幼さ故に他の
世界を知らなかったからでしょうか、その表情に暗さは無く屈託のない様子
だったそうです。
半人前だった君代が一人前として新たに勤めに出るようになったのは、
親方が紹介してくれた軍手工場でした。小さな工場で、数枚のノルマを熟し
て歩合が付くといった条件でしたが、君代は喜んで紹介を受けたそうです。
この工場で、君代より三歳年下ですが家庭環境が似ており、苦労話も共鳴
できる島慶子と出会い、二人は血の繋がった兄弟よりも深く心を許し合える
関係となっていきました。
細々としながらも安定した収入が入るようになると、母親は家事を賄うと
言い出し、君代の給料の全てを取り上げるようになりましたが、君代は家計
を支える為に働いていると思っていたので母親に委ねていました。
けれども給料日になると、母が幼い兄弟の手を引き工場へやって来ては、
直接給料を貰っていくようになり、初めて母親に対し不快感を抱くように
なったそうです。
そうした時に、父の遺骨を預かってくれているお寺の住職に、一度寺に遊
びに来るようにと声をかけられ、君代は後日お寺を訪ねてみました。
町で顔を合わせる度に一言二言と声を掛けてくれる住職の存在は、相談で
きる大人が居なかった君代にとって、いつも励みになっていたそうです。
その住職から出た言葉は、君代の母の生き様を厳しく諫め、母の事を思うの
であれば一日も早く母から離れて、独立するように薦めるものでした。
深く信頼し、尊敬していた住職から親子の縁を切るように言われたこと
に、胸が張り裂けんばかりのショックを受けた君代は、泣きながら自分が
いなくなると、母の面倒は誰が見るのかと訴えました。
けれども、住職は君代の母の事を「娘を食い物にしている。」と極言した
のでした。
後になり君代は、この時に住職の言葉を素直に聞いていれば、当たり前の
生活をして頑張る事が出来たけれども、あの時の自分には、それができなか
ったと後悔の言葉を残しています。
そして、皮肉な事にこの説教が、君代と慶子の人生を転落させてしまう
切っ掛けとなってしまったのです。