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前夜

森町の小さな町工場で出面取りをしていた時代から
苦楽を共にしてきた慶子の存在は、血の繋がった身内以上に
君代の心の拠り所となっていました。

 それ故に、慶子が何も相談してくれなかった寂しさや、
喪失感は大きく。けれども、慶子の幸せを
誰よりも一番願っているのも、君代以外ありません。

 女郎にとって、昼間の睡眠はとても大切なことです。
日中に外出するという事は、それだけ身体に無理が掛かり
自分で首を絞めているようなものなのです。
 そうまでして外出を続ける慶子は、着物を質に入れて
あの男に貢いでいるのでしょうか。
それとも、二人で駆け落ちをし、ここにはもう戻っては
来ないのでしょうか。

 部屋に居ることがいたたまれなくなった君代は、
足の赴くままに弁天浜に向かっておりました。

 余談ですが、この頃より、一昔前の遊郭でしたら、
女郎たちがこんなに自由に妓楼から出歩くことなどは、
出来ませんでした。
 一寸でも伝えた行先と違う所へ行こうものなら、
店に連れ戻され、酷い折檻をされたものです。
と言いましても、借金を抱えているうちは、
見えない鎖で繋がれている事には、変わりはありません。

 夕方になり、店の準備をしている頃に、慶子が戻ってきました。
支度を整えて溜まり部屋に姿を見せた慶子は、顔色が酷く悪く
眼も充血しています。疲労も限界に来ているのでしょう。
「町へ行っていたの?」
君代がさりげなく尋ねると、慶子は頷き
「君ちゃんにお土産を買って来てあるからね。」と言いました。

 そんな二人のやり取りを見ていた口の悪い姐さんが、
「千春ちゃん、最近は彼氏と外で逢引きなのかい?」と、
ちょっかいを出してきました。
お客で揚がれば高いお金が掛かるけど、
待合なら誰にも邪魔されずに逢瀬を重ねることが出来ると、
慶子をからかうのです。

 下ネタには口さがない姐さん連中の恰好の餌となり、
溜まり部屋は、笑い声が広がっていましたが、
番頭の声が掛かり、その場はお開きとなったのでした。

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