芸者置屋とは?
鴨々堂を開館してからは、「昔、この辺りに住んでいたんです。」という方や、裏手にある豊水小学校の卒業生が懐かしんで来てくれたり、ススキノの歴史や花街に興味を持つ方々など、実に様々な人々がたくさん訪れてくれていました。
中には、この建物から、紫色の着物を着た綺麗な芸者の御姐さんが出入りしているのを見たことがあるという方もいらしたりし、花街が盛んだった頃のこの辺りは、さぞかし趣のある風情だったんだと思いながら聞き入ったものです。
現在では、「花街」や「芸者」と言っても若い方にはピンとこないらしく、地域史を知りたいと訪れ来る学生などは、芸者置屋=売春宿と勘違いしてしまっている事も多く。学生だけではなく、「ここ、置屋なんだって?」と、鼻の下を伸ばしてくる男性も然り。芸者と女郎の区別がついていない人々が案外と多くいました。
芸者というのは字の如く芸事をする人のことを指し、職業としては先ずは芸が先で、女性だけでは無く男芸者もいます。男芸者は、一般には「幇間(ほうかん)」や「太鼓持(たいこもち)」と呼ばれ、女芸者と同様に宴会やお座敷の席を盛り上げることが仕事で、戦前には料亭などで開かれていた宴会では欠かせない存在だったと言われています。
鴨々堂の向かいにあるジャスマックプラザホテルの裏の小路は、「千両小路」といい、この「千両」とはススキノで活躍していた男芸者が一念発起して、小路の突き当りに「割烹千両」を開いたことから、そのように呼ばれるようになったそうです。
舞いや、長唄・小唄、三味線、太皷などの鳴り物で自らの芸を見せ、座を盛り上げる仕事。それが芸者さんなのです。
芸は一日にして成らず。先輩芸者さんの元で、芸事を習いながら、御座敷から声が掛かるまで待機する場所を置屋といい、その形態は見習いが通う置屋もあれば、借金の肩代わりに売られた子供などが住み込みながら、芸を仕込まれていく置屋などもあったそうです。
鴨々堂は?というと、どうやら前者の形態だったようです。