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ススキノの小路


 さてさて、芸者さんが沢山いて
その分、置屋もあったわけですが、
御座敷のある割烹、料亭というのは
どんなお店があったのか
という話をしましょうか。

 南3条と南4条通りの2丁目から
駅前通りを西に渡って、西4丁目までの
仲通りが「都通り」。
 そう、都通りの4丁目に、明治時代に
開業し、格式を誇っていた割烹「いく代」が
ありました。

 上級官僚や、経済界のお偉いさん等が
通っていた一等小路で、北炭(北海道炭鉱汽船)の
荻原吉太郎さんの庭のような場所でもありました。
 
 いく代に倣い、割烹が建ち並び、この辺りにも
芸者置屋があったそうです。

 南4,5条仲通り。今の銀座通りが二等小路。

 夜になると赤燈篭が灯り、華やいだ街となる
この辺りには、百人以上の私娼もいたそうで、
中でも、年がら年中ビロードの襟を身に着けていた
「ビロードごけ」や、酒浸りの「徳利ごけ」
士族の娘だった「剣術ごけ」など、印象に残る
私娼もいたそうです。

 明治25年5月4日の夜に、南3条西4丁目を
火元とする火災が発生し、木造建築が建ち並ぶ
ススキノは、瞬く間に猛火となり、870戸も
焼失するという大火災が発生しました。
 これを機に、ススキノの風紀の乱れを
気にしていた札幌警察の所長山口綱太郎が
白首屋を十軒ほど、南5条との仲小路に
追いやりました。
ここが、三等小路の誕生となったそうです。
三等小路は現在の新宿通りの辺りとなります。

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