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水揚げ

 君代と慶子が釧路に来てから、1カ月が経ちました。

釧路の7月は、気温が一向に上がりません。

夜毎に繰り広げられる妓楼の日常を知り、

いつ自分たちも姐さん達と同様の「仕事」をする日が来るのか……と、

不安に押し潰されそうでした。

そうした気持ちを少しでも打ち消そうとクタクタになるまで、

掃除などをして動き回る一方で、いつまでも逃れられるものではないと、

姐さんの世話をしながら客扱いのイロハを仕込んで貰いました。

 ある日、親方夫妻の食事の後片付けをしていると、女将さんから

それは誰かに任せて、自分の部屋に来るようにと言われました。

 戸を開けると、部屋の中央で女将が何点かの着物を広げており、

親方はテーブルに肘をつきキセルを吹かしていました。

いつになく上機嫌な様子で金糸、銀糸の黒染を見せながら、

君代に傍に座るようにと指示し、

「そろそろ、ちゃんとした座敷着が必要な時期だね……。」と、

新調したばかりの着物を君代の肩に掛け、

目を細め悦に入った表情を覗かせました。

 これが、客を取り始めることの事実上の宣告でした。

真新しい着物といっても、所詮は前借金へ上乗せされ、

返済が増えるだけなのです。

部屋を出ると番頭が待っており、今晩から店に出る事になった旨を伝えら

れました。

 昼過ぎには風呂に入り、肌襦袢一枚になって千代吉姐さんに化粧を施し

て貰い、新調したばかりの着物も着付けてもらいました。白粉を首まで塗

られ、髪を結い上げて完了です。

「みちがえたわね。たいしたべっぴんじゃない。

これだけの美人は、米町でもちょっといないわね。」

お世話をしてくれた千代吉姐さんに言われ、鏡を覗き込むと、

自分でも化粧をした顔が信じられず、まるで他人の姿をみているような

気分でした。

それから溜まり部屋に移り、梅島の口開けの時間を待ちました。

午後7時を回った頃、初めての客が揚がりました。

君代が小菊という娼婦になった瞬間でした。

初めてお客を取る日の事を、「水揚げ」といい、妓楼には「御初御目見得

の奉書」と貼りだされます。

初見世娼妓の「初物」をいただこうと大枚をはたいてくれる客を当てにした

儀式なのです。

あらかじめ親方と番頭で決めていたのであろう客は、50前後の風貌で、

額がやや剃り上がっており日焼けをした肉付きのよい男でした。

 初めての時は、少々酒が入っていた方が、気持ちが落ち着くからと、

男が頭から背後まで身体ごと抱えて、無理やり口元に盃を運んできます。

仕方なく口に含みましたが、盃にはまだ酒が残っており、男はそれを飲み干

しました。

 さらに酌を促された小菊は、今度は一気に飲み干しました。

酒の苦さがお腹の中から熱く沸き、どことなくホロッとしてきました。

男は小菊の帯を解き、着物を脱がすと、か細い身体をゆっくりと

愛撫し始めました。

 玩具を弄ぶかのような仕草に、小菊は唇を噛みしめ、奥歯に力を込めて

堪えましたが、硬直した身体は人形のように男の自由にされるがままだった

のでした。
 

川嶋康男「消えた娘たち」より

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