呑む・打つ・買う
何せ、開拓期の娯楽といえば、酒を呑む、博打を打つ、女性を買う。
創成川を中心に出来た宿屋とも料理屋ともつかぬ
曖昧屋に集う土工さん達は、呑む・打つ・買うに加えて
喧嘩に明け暮れていたと「札幌中央署沿革史」には記されています。
荒くれた男性達の相手をした遊女たちとは、
何処から来た女性たちだったのでしょうか。
石狩の漁場付近から移って来た丸八清水利右衛門が抱えていた女性は3名
同じく石狩組の中川良助も3人の女性を抱えていましたが、
それでは足りずに8人にもなったそうです。
銭函から来た秋田屋の菅原治左衛門は、商売があまりにも儲かった為
青森より10名の女性を買ってくる始末。
函館からも、高瀬和三郎が3~4人の女性を伴って来たとの事でした。
いずれも、安政時代より活況をみせていた日本海沿岸の漁場や港町から
移って来た人々だそうです。
石狩から明治2年に札幌村付近で開業した「越中屋」の店先には、
「大山・金竜・お肴いろいろ・御用女あり」
といった木札が掲げられていたとのことでした。
大山とは、当時の札幌に出回っていた山形県庄内の「大山酒」のこと
「数の子大山樽一樽」といった具合に商売の取引の標準単位とされる程に
普及していたお酒だそうです。
金竜とは、煙草の銘柄だったそうですよ。
飯盛女と呼ばれた女性たちは、
そうした嗜好品と並べられ、扱われていました。
漁場では、漁師さんたちの相手となり、
札幌へ移ってからは、土工さんたちが客となり。
そうしたの遊女たちの事を、
「五尺の白い躰にしみついた魚の臭いは、
忽ちにして人夫、土方達の土や木の匂いによって
打ち消されてしまった・・・」
そう表現した人がいました。