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地域おこし協力隊を3年間やってみて思ったこと

こんにちは。鴨井です。
自分は9月末まで新潟県三条市で地域おこし協力隊として活動をしていました。

この記事では自分の3年間を振り返りつつ、地域おこし協力隊が終わった後にどのような活動をしていくのかについてお話しします。これから地域おこし協力隊になりたいと考えている人に少しでも参考になれば嬉しいです。


改めて自己紹介

まずはじめに改めて自己紹介をします。
私は新潟県津南町出身で今は29歳です。津南町は言ってしまえば山に囲まれたものすごく田舎な町です。ひまわり畑や雪まつりのスカイランタンが有名で、また今は大地の芸術祭で町内各地で展示がされています。冬は3mほど雪が積もる地域で、12月から3月までは毎日のように雪かきが必要な場所です。18歳までは津南の実家に住んでいました。

大学進学で東京に住み始めて、大学生活と新卒で入社した企業での仕事と合わせて7年半東京に住んでいました。東京での仕事はテレビ局の報道番組のADをしていました。本当は新潟のテレビ局に就職したかったのですが就職活動の時に全滅しまして、一度東京で勉強していつか新潟のテレビ局に転職しようということで、仕方なく東京にあるテレビ番組の制作会社に入社することになりました。ですが、今となっては東京のテレビ局で仕事ができてよかったなと思っています。取材に行ったりタレントとロケに行ったりスタジオの中でキャスターにカンペを出したりいろいろなことを経験させていただきました。

この後、三条市にJターン移住をすることになるのですが、その当時は三条市に行ったことがほとんどありませんでした。鍛冶で有名というのもあまり知りませんでしたね。実家で冬に使っているストーブが三条市の企業が作っていることも知らずでしたし、三条市についてはほとんど何も知らなかったと言っても過言ではないくらいでした。

今は三条市に住んでいて、株式会社MGNETという燕市にあるまちづくりの会社で働いています。燕市と三条市は燕三条地域と言われるだけあって、自分のように住んでるのは三条市で仕事は燕市という方もいらっしゃいますし、もちろんその逆の方もいらっしゃいます。自分は三条市の地域おこし協力隊として三条市をメインに活動していますが、どういうわけか燕市の企業に所属しています。

新潟県三条市との出会い

三条市のことを知り始めたのは2018年9月頃に東京で行われた移住関連のイベントで三条市のブースを訪れたのがきっかけだったと記憶しています。その時は、「新潟のテレビ局に転職したら新潟市に住むだろうから、その時のために新潟市のことをリサーチしよう」ということでイベントに参加しました。なので、新潟市のブースに行くついでに三条市のブースにも立ち寄ったという感じでした。最初から三条市に移住するつもりは全くなかったです🙏

その時は地域経営課の職員がブースにいらっしゃいました。面談が終わった後に三条カレーラーメンのカップ麺をもらったのは今でも覚えてます🍜

それからも3か月おきくらいに移住関連のイベントがあったので、イベントに行くたびに三条市の方とお話しました。何度もブースに行っていたので、最後の方は移住相談というよりも近況報告のような雑談がメインでしたね。

ですが、三条市の方と定期的にお会いするのは途中でなくなってしまいます。2020年頃から流行した新型コロナの影響で、イベントがなくなってしまいました。なので、イベントの際にお会いした方と次にお会いしたのは自分が三条市に移住してからになります。ちなみに、市役所の方は定期的に人事異動があるので、移住した時には担当してくださった方のひとりは別の部署に異動されていました。

三条市に移住した理由

本格的に新潟に帰る準備を始めたのは2020年の大晦日です。東京で新型コロナウイルスが再拡大した時に「東京はもういいかな」と思い、転職を決意しました。なので、転職活動は2021年1月4日にスタートしました。

新潟のテレビ局に転職するのももちろん候補にありましたが、「テレビ番組の制作会社からテレビ局に転職してもテレビの仕事しかできない人になってしまう」と思い、将来的にテレビ局に転職するのを見据えつつ、一旦は他の業界に転職しようと考えました。また、新潟で暮らすのでテレビ局の仕事よりも少しゆったりできそうな仕事が良いなぁと思っていました。

エリアとしては自分の地元である津南町よりも都会で、東京で働いていたときの職場である東京都港区よりも田舎の地域がいいなぁと思ってました。また、休日に遊びに行けるように新潟市に近い方がいいなぁとも思っていたので、上越新幹線沿いあたりだともっと良いなと思っていました。なので、新潟市、燕市、三条市、長岡市を中心に考えていました。

当時、自分がやりたいと思っていた仕事は、新潟県のことを全国に発信するような仕事です。一般の企業で探していたのですがなかなか見つからず、観光協会や地域おこし協力隊の活動ならできそうということで、市町村のホームページやJOINの地域おこし協力隊の募集サイトなどを見て探していきました。
いろいろ探していたのですが、自分がやりたい仕事が見つからず、仕事探しは難航していました。今働いている株式会社MGNETは「何をやってる会社かよくわからん!」という理由から選択肢にありませんでした笑
自分がいいなぁと思う仕事がなかなか見つかりませんでしたが、各市町村のホームページを検索している時に三条市の地域おこし協力隊の募集ページに「その他の活動についてはお問い合わせください」という内容のことが記載されていたので電話してみました。
そうしたら、三条市の移住定住の窓口を担当されている移住コンシェルジュの方に学生のインターンシップの受入促進事業の仕事を紹介してもらいました。移住コンシェルジュと何度か面談をして仕事内容を聞き、「やったことない仕事だけどなんとかやっていけそう」と思い良さそうだったので転職を決めました。

転職が決まった後は移住コンシェルジュの方にアパート探しも手伝っていただきました。当時は新型コロナが流行していたので、東京に住む自分は三条市に行くことができず、自分の代わりにアパートの内見などをしていただきました。

地域おこし協力隊の活動内容

2021年10月〜2024年3月
三条市に移住してすぐに仕事がスタートすると思いきや、ここでも新型コロナの影響がありました。東京からの移住ということで、PCR検査で陰性が出るまで自宅でリモート勤務となりました。なので、市役所の方への挨拶や活動拠点となる「三条未来づくり舎日吉舎」という施設の見学にはすぐには行けませんでした。家の中でできる作業として、SNSの立ち上げや施設紹介のサイトを作る作業から始めました

ということで、検査で無事陰性になったことを確認した後にようやく活動が本格化していきます。はじめは三条市経済部商工課の特別任用職員として働いていました。なので、活動拠点の日吉舎だけでなく市役所でも仕事をしていました。一応、市の職員ということもあり、仕事で企業を訪問するときは公用車を運転することもありましたね。

日吉舎の内観は昔ながらの雰囲気がありました

学生のインターンシップは夏休みと春休みが多いだろうからはじめの半年間は準備期間だろうと思っていましたが、実際は着任して2か月後の11月に初めての学生の受け入れを行いました。学生は2週間ほどの滞在で宿泊施設にもなっている日吉舎に泊まりながら活動をされていました。

自分にとっては準備をあまりせずに初めての受け入れが始まったわけですが、何をするにも初めてだったので準備はドタバタでした。掃除に備品の購入に布団のレンタルに...と初めてでわからないながらも準備を進めていきました。インターンでは受け入れ先の企業の方に同行して学生と一緒に企業の見学に行ったり、燕三条工場の祭典の展示を見に行ったりと学生が地域のことを知るのと同時に自分もたくさん勉強させていただきました。

それからも12月や次の年にも学生がインターンシップや大学の実習で来てくれたので、受け入れの準備でずっと忙しい日を送っていました。2022年4月に三条市経済部商工課から今働いているMGNETに移籍するということも経験しました。活動を初めてしばらくの間は実働を自分1人で行っていたこともあり、テレビ局で働いていた時よりも大変な日もありました。

2023年頃からはセミナーやイベントの開催にも力を入れました。セミナーでは新卒の採用活動に取り組む企業を対象に、インターンシップの定義の解説や学生へのアンケートをもとに作成した学生視点の就職活動の解説などをしました。セミナーの準備として台本を作ったりスライド資料を作ったりしましたが、これはテレビ局で働いていた時にやっていた仕事と似ていたこともあり、自分の中でもセミナーとしてはしっかりしたものが作れたのではと思っています。

セミナーの様子

イベントは企業の若手社員と学生を繋ぐためのきっかけを作ろうということで始めました。学生と社会人合わせて3人が登壇して、今取り組んでいる活動や趣味などについて話してもらい、その後フリートークの時間で学生と社会人がお話をするという内容のイベントを行いました。始めたのはいいのですが、後輩と話す中で社会人の参加は25歳までにしようと決めたので、当時28歳だった自分は当日に会場にいることはしませんでした。会場のセッティングをしたら別の部屋で待機して、イベント中は後輩に任せて、イベントが終わったら片付けに行くということをしてました。

2024年4月〜2024年9月
インターンシップの受入促進事業はずっと長く続いたわけではなく、2024年3月末に事業が終了しました。なので、次の年度からは全く違う活動がスタートします。自分の任期中に自分の地域おこし協力隊としての活動がなくなるとは思ってもいなかったですね💦

今年度の活動としては地域と学生を繋ぐイベントの開催、一般社団法人燕三条空き家活用プロジェクトの方々と空き家の利活用促進、三条マルシェのお手伝いなどを行いました。イベントは自分の仕事でもあり趣味でもある写真撮影を活かしてフォトイベントを開催しました。商店街でフォトウォークをしたり、普段はもちろん撮影禁止の銭湯を借りて営業開始前に写真撮影をさせていただいたりしました。空き家の利活用促進の活動では空き家に行って古物の回収をすることもしています。

地域おこし協力隊の活動終了の前に、三条市内でお世話になったお店や施設12か所に自分が撮影した写真を1枚ずつ展示させていただき、卒業写真展を開催しました。写真は自分が三条市にきてから3年間でたくさん撮ってきた写真の中からを選びました。

卒業写真展は新潟日報と三條新聞に取材いただきました。

そして、9月30日に地域おこし協力隊としての活動が終わりになります。
最終日は写真展の片付けをしつつ、この「三条で暮らす。」の記事を書いていました。卒業展示会は29日で終了ですが、「お店に飾ったままでいいよ〜」と言ってくださる方もいらっしゃり、お言葉に甘えて引き続き飾らせていただいているお店もあります。

これにて地域おこし協力隊の3年間は終了です。
卒業のお祝いは特にしませんでしたが、夜に工場の祭典実行委員会のミーティングをした後にメンバーの皆さんと一緒にそのまま本寺小路で夜までお酒を飲んでました🍻

移住してからの仕事とプライベートについて

ここからは話題が変わり、三条市にJターン転職をして実際どうだったのか?ということについてお話ししていこうと思います。

まずは仕事とプライベートの変化についてです。結論から言うと仕事は大変になってプライベートはイベント会場にいることがほとんどになりました。

仕事についてはテレビ局のADよりも大変でした。ADの仕事も大変ではあるのですが、地域おこし協力隊の仕事やMGNETでのその他の仕事の方がそれ以上に大変でした。ADの仕事はディレクターやプロデューサーからの指示を受けて動くことがほとんどなので、自分がやるべきことがわかりやすいですし、言われたことをやっていればひとまず間違いはないです。
三条に来てからの仕事は、自分で考えながら仕事を進めていく必要がありました。事業の目的をインプットして、現状を理解しつつ目的に向かって筋道を作って、それに向けて作業を進めていくということをしていました。なので、行動するのはもちろんですが考える時間がものすごく増えました。

また、最初の活動であるインターンシップの受入促進事業では、実は自分は学生の時にインターンシップに参加したことがなかったのでまずはインターンシップについて調べるところから始めましたし、三条に来たばかりだったので地域の歴史や企業のことを勉強する必要がありましたし、今まで全然やったことがなかった仕事なので慣れるのに時間がかかりましたし、という感じでやることがたくさんありました。それに加えサイトの作成やSNSの運用があり、作業の幅もすごく広かったです。

今やっている仕事も勉強の毎日です。テレビ局のADの仕事とは比べものにならないくらい仕事の幅が広いため、インプットをする時間がすごく大事になっています。大学受験の時よりも勉強していますね。自分の伸び代だと思ってどんどん勉強していこうと思います。

地域おこし協力隊の活動の他に、三条に住んでから5か月くらい経った時にフリーランスとして映像クリエイターとしての活動も始めました。三条を舞台に動画を作り、映像のコンテストに応募したら優秀賞をいただきまして、その勢いで開業届を出しました。地域おこし協力隊の活動が忙しくなる時期と重なってしまったので、副業として映像制作をすることはあまりありませんでしたが、開業したことをきっかけに活動の幅はさらに広がっていきました。

優秀賞を受賞した動画はこちら

また、今年度からは工場の祭典実行委員会としての活動もしています。工場の祭典当日に向けた準備として、当日参加してくださる工場の方に向けたセミナーとワークショップを開催しました。さらに、9月は燕三条地場産業振興センターでPR活動をしていました。その他にも小学校での授業のコーディネートや11月の報告会に向けた準備にも取り組んでいるところです。

次に私生活の話をしていこうと思います。

東京に7年半住んでいたので、新潟に住むのは久しぶりになります。三条での暮らしでは少し家賃を高くしたことも相まって、東京に住んでいた時のアパートよりもキレイで広い部屋に部屋に住むことにしました。

三条は東京と比べると夏は暑くて冬は寒いなと思うことが多いですね。夏に東京に出張にいくこともあるのですが、東京駅から新幹線で移動して燕三条駅のホームに着くと、「ジメジメして暑いなぁ」と思うことが多いです。東京も暑いですが、三条よりも湿度が低くカラッとした暑さに感じます。

冬はやっぱり東京よりも三条の方が寒いですね。晴れの日が少なくて外に干しても洗濯物がなかなか乾かないので、ドラム式洗濯機が大活躍してくれています。地元の津南町とも違った寒さでして、三条は日本海側から来る風が強い時があり、傘をさして歩くのが大変ですね。また、三条のまちなかエリアは雪が降ってもすぐに消えるのであまり積もらないのですが、道があまり除雪されていなかったり、車道と歩道の間に水がたまって横断歩道を渡りにくかったりと不便なところがあります。ですが、車に乗ってしまえば不便なところはあまり感じないですね(冬用タイヤが高価なのが気になりますが...)。アパートの駐車場から目的地までずっと車の中なのであまり寒くないですし、道もあまり気にならないですね。ちなみに、三条の下田地域は毎年冬になると雪が積もる地域なので、まちなかエリアよりも除雪がキレイですね。

移住してすぐの10月から3月までの半年は車なしで生活していましたが、移動するのに限界を感じて3月中には車を買いました。市役所の職員だったので仕事での移動は公用車を使えましたし、普段の買い物は近くにコンビニやスーパーがあるので、三条で生活するだけであれば車は必要ありませんでした。ですが、電車やバスがあまり本数がないこともあり、新潟市や長岡市などに遊びに行く時に不便さを感じていました。また、駅が近くにないお店や施設にはやはり行きにくかったですね。車を買ってからは移動が自由になって、新潟市に買い物に行くことや海に写真を撮りにいくこともラクになりました。

ですが、車を買ってからもお金がかかるので買う時は注意が必要です。ローンを組むと毎月の支払いがありますし、ガソリン代もかかります。さらに、数年おきにタイヤの交換もありますし、車検もありますし、自動車税の支払いもあります。なので、移動はラクになったと言いつつも、東京都内を電車だけで移動していた時よりも新潟県内を車で移動している方がお金がかかってますね

そんな感じで、東京に住んでいた時よりも生活するのに大変だなぁと思っていますが、三条市は毎週のようにイベントが開催されているので楽しい街でもあります。市が主催するイベントもあれば団体や個人が主催するイベントもあればという感じで、規模の大小かかわらずいろんな人がイベントの企画をしています。自分も最初はイベントを見に行くばかりでしたが、いつの間にか運営のお手伝いをしたり、地域おこし協力隊の活動の一環でイベントを開催したりと徐々にイベントを企画していく人になっていきました。なので、平日は仕事をして、休日はイベント会場にいるというような生活になっています。陰キャの自分がこんなにイベントに関わるとは移住前は全然想像もしていなかったですね。三条市は「アウトドアのまち 三条」に続いて「イベントのまち 三条」と宣言してもいいと思います笑

移住して実際どうだった?

ここからはJターン転職をしてみて実際どうだったのかについてお話ししようと思います。はじめに結論をざっくりまとめるとこんな感じです。

仕事...大変になった🤔
給料...下がった😫
生活費...たぶん増えた😅
生活の質...上がった😊

まず、仕事については東京で働いていた時よりも大変になったと思います。テレビ局のADと言っても自分が担当していた番組は安定感があり、皆さんが想像するほど大変な環境ではありませんでした。ルーティンワークにも近く、また、ADはディレクターの指示通りに動けばなんとかなりましたし、自分の仕事はテレビ局内の連携すれば完結する仕事がほとんどだったので、やる気があればとりあえずなんとかなりました。
一方で、今の仕事はいただいた仕事によって作業内容が全く異なりますし、自分のアクションは自分で考えることが求められますし、様々な企業の方と連携をすることが必要不可欠なので、テレビ局の仕事とは全くの異業種という感じで、仕事に慣れるまでがとても大変です。
大変ではありますが自分にとってはすごく勉強になっています。今までやってきた仕事とは全然違うので、新しい武器を身につけている感覚に近いですね。また、勉強する範囲がすごく広くなったので、今の仕事がしっかりとできるようになる頃には自分はものすごく成長しているんだろうなと確信しています。

給料についてはまだ東京にいた時の金額には戻せていません。自分が転職活動をしている時に「東京の企業から新潟の企業に転職すると給料は月5万円下がる」と言われましたが、実際は地域おこし協力隊になったということもあってそれ以上に下がりました。これはなんとかしていきたいなと思っているところです。今の給料を倍にするという目標を立てていますがまだ道半ばです。なので、これからもいろんなことにチャレンジしながら、粘り強く力をつけていきたいなと思っています。

生活費については、地方で暮らすと東京よりも物価とか低いから生活費が少なく済むと言われていますが、自分にとってはそうではなかったです。昨今の物価高もありますが、東京に住んでいた時よりも安く済んでいる感覚はないです。東京では平日はほとんどコンビニかスーパーのお弁当でしたが、三条ではスーパーで食材を買って自炊することが多くなったので少しは安く済んでいるかもしれません。ですが、車の維持費がすごく高いですね。ガソリンや車検、タイヤ交換のお金がかかってきます。なので、東京で電車移動している時の方がお金はかかってないです。家族連れの移住だと地方の方が生活費が少なく済むのかもしれませんが、単身ですと生活費が少なくなった実感はあまりないですね。

いや、待てよ...よく考えたら新潟に帰ってきてから増えたものがありました!
いろんな方と食事をする機会が増えました🍻

東京にいた時は誰かと食事に行くことはほとんどありませんでした。年に3回くらいだったと思います。ですが、最近は毎月1回以上は誰かと一緒に食事に行ってますね。もう忘年会のお誘いも来てます。なかなかお金が貯まらないなぁと思っていましたが、いろんな人と繋がりが増えた分、食事の機会も多くなってました🙌

生活の質は良くなったと思います。毎日の食事でいえば東京に住んでいた時は平日はほとんどコンビニやスーパーでお弁当を買っていましたが、今は自分でごはんをつくることができます。自分はコンビニで買ったり外食をしたりするよりも自分で料理をする方が好きなので、ごはんを作る機会が増えているのは嬉しいです。

また、いろんな人と繋がれているなと実感しています。東京にいる時は基本的に1人でいることが多かったですし、仕事ではテレビ局の中の方としか繋がってないような感じだったので、ほとんど同じメンバーで動いていました。新潟に帰ってきてからは燕三条地域の企業の方をはじめ、県内各地の企業や団体の方と繋がる機会が増えました。最近では県外の方との繋がりも徐々に増え始めていますね。地域の方とは仕事だけでなく、休日でもお会いすることがよくあります。普段は一緒に仕事をしたり工場の祭典の活動をしたりしている方も、休日にイベント会場でお会いすることがありますね。なので、仕事とプライベートどちらも繋がっているような方が燕三条地域には多いですね。

これからの活動は?

ここからは地域おこし協力隊を卒業した後の活動について紹介をしていきます。
まず、自分は燕三条地域を中心に、今所属しているMGNETで活動を続けていくことにしました。東京で転職活動をしていた当初は、自分は新潟のテレビ局で働く前の寄り道として地域おこし協力隊になったので、任期の3年間が終わったら三条市を離れるつもりでいました。任期終了後の転職も見込んで、自分が20代のうちに地域おこし協力隊の活動が終わるように、テレビ局の仕事を辞めるタイミングを決めたほどだったんですけどね。それでも3年間の活動を通して、これからも燕三条地域を舞台に活動をしていきたいなと思いました。

燕三条地域で活動をしていこうと思った理由がこちらです。
・新潟のテレビ局よりもMGNETの方が働いていて勉強になりそう
・燕三条地域はものすごく活気がある

まず、新潟のテレビ局よりもMGNETの方が働いていて勉強になりそうと思ったのが第一にあります。新潟のテレビ局に転職して仕事をした場合、東京のテレビ局で働いていたことの延長になるので、新しいスキルを身につけていくというよりも、自分がすでに持ってるスキルを地元で活かすという感じになると思います。自分はそれよりも今後も新しいことに挑戦していきたいなと思っています。MGNETの仕事は本当に多岐に渡るので、必要なスキルの幅もものすごく広いです。だからこそ、MGNETで仕事をすることで自分の成長にも繋げられると思っています。

また、燕三条という地域にも良さを感じています。地域おこし協力隊の活動やブランディングのサポートの仕事、燕三条工場の祭典での活動などしていても思うのですが、地域の方々の「自分が住んでいる街をもっと盛り上げていきたい!」、「まだまだ会社の売上を上げていきたい!」、「これからの地域を作っていく若い人たちにどんどんチャレンジしてもらいたい!」というポジティブな気持ちをものすごく感じています。活気がある街とない街だったら活気がある街に住みたいなと思っています。地域の方々の活発な雰囲気を見てすごいなぁ〜と思っています。

最後に今後の仕事内容についてですが、MGNETのディレクター兼ビデオグラファーとして活動をしていきます。企業のブランディングのサポートや行政とのまちづくりを中心にこれからも様々なことに挑戦していきます。自分の強みのひとつでもある映像制作ももちろん仕事にしていきます。来年度からスタートをする仕事もすでにいくつかいただいていまして、今からとても楽しみです!

おわりに

たくさん書いていたらいつの間にか1万文字を超える長文になってしまいました。最後まで読んでくださりありがとうございました。

地域おこし協力隊としての3年間で地域のたくさんの方々にいろんな方面でご協力をいただきました。本当にありがとうございました。地域の方々にご協力いただいた分、これからは自分が地域をどんどん盛り上げていけたらと思っています。

自分の活動はまだまだこれからなので応援よろしくお願いします!!!

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