なぜ、文学なんだろう
なぜ文学専攻なのだろう。
入学前から時折考えるテーマです。
言葉にこだわりがあるらしい、それはわかっていて、
哲学も言語学も好き、それもわかっていて、
ではなぜ文学なのだろう。
私にとって文学は、少し言葉に対して回り道をしている学問のように感じます。
言葉を扱っているようで、言葉以外の情報、言語外の伝達要素もふんだんに取り上げる。
文学という作品のなかで、言葉にされていることは本当に少ない。
それが好きだと思う一方で、
じゃあ言葉にこだわっているようで、そうでもないじゃないか、
そんなふうに思うこともあります。
実際、入学の際も今現在も、本当は言語学を専攻したいのではないか、
はたまた、
倫理学で真理を追究しつつも現実に即した学問領域がいいのではないか、
とか考えたりします。
旅行についての江國香織さんのエッセイを読んでいたら、ふと、
哲学、言語学、文学を旅行になぞらえて捉えてみよう、と思い立ちました。
哲学(倫理学)が旅行の目的地に対してなぜその目的地に設定したのか、その目的地に行って(精神的な満足という)目的は達せられるのかを追究する学問であるならば、
言語学はどの交通手段を選ぶべきか、時間や経路、乗り継ぎ回数、料金、さらには宿泊先の選択肢など、具体を綿密に調べ上げ、現状での最良を追究する学問、
文学は、どこにどのように行ったって構わなくて、とにかく旅行へ行き、その旅先でなにに出会えるか、出会ったものに意味付けする学問、
ということなのかもしれない、思いました。
こう仮定するならば、やっぱり気の向くまま旅に出て、
なにに出会っても出会えなくても、すべてに良しを探す視点を持つ、
そんな文学の人生に対する甘いまなざし、
ともすると曖昧で頼りなく、だけれどおかしみを含んだやさしさ、
それは私にとって、そして想定の存在しない現代社会にとって、
魅力的だなあと思いました。
やっぱり文学なのかなあ。
そんなことを思いながら、哲学(倫理学)も言語学も、
文学と一緒にまだまだたっぷり学んでいきます。
CALAMVS GLADIO FORTIOR
The pen is mightier than the sword.
Kamoi
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