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(備忘録)田辺朔郎の右手

田辺朔郎が右手を負傷し、左手だけで論文「琵琶湖疏水の計画について」を作成し提出したというのは有名なエピソードなのですが、ケガをした経緯についてブレがあるので、文献の備忘録と考察を保管しておきます。


(一次資料・二次資料)

T2:「田辺朔郎博士60年史」 西川 正治郎

「博士は実地に於ける試験の際右手を機械に打ち付けたため、骨膜を傷つけ後には右腕の自由をも欠くに至ったのである。・・・中略・・・なに、おなじ困難をするのなら、左の手一本でやってのける方が、話の種にもなってよいかもしれません。」

S12以前:「石斎随筆」など 田辺朔郎

恩師ダイア―の発言として記載
卒業の前に当たり、君は実地演習において右手を傷つけ用い難きに至りしも少しもこれに屈せず、一切の卒業試問、卒業論文製図を行い、見事に卒業したのは、これぞ君が困難に打ち勝つ事のできることを人に信じさせた試金石である。」

S14:「琵琶湖疏水及水力使用事業」 京都市電気局庶務課

・博士自ら次の如く語っておられる として記載
京都に居る間にふとしたことで削岩機で右手の中指を怪我し、その治療を行っていては卒業論文が間に合わぬため、やむなく右手を吊ったまま左手をもって、論文も製図も卒業試問の答案もすべて書き上げた。」(P.23)

S14:「疏水開通50年の回顧」田辺朔郎談話 京都放送局放送

「明治14年、工部大学校の生徒で、小型の測量器セキスタント・ハンドレベル・テープと着替・衣服・ノート等を風呂敷につつみ両掛けにして背にかけ、官給の大学制服に草鞋を履き、昼の弁当と靴とをさげ東海道を10日もかかってテクテク歩いてきました。
 東海道に鉄道のなかったのはもちろん人力車もあったにはありましたが、えらい人の乗るものであった。京都へ参りましてから大学の卒業論文にする琵琶湖疎水工事に関する必要材料を集めて東京に帰りましたが、不幸にして右手の中指を怪我しまして、やむを得ず卒業論文・製図・答案の一切を左手一本でやりました。(琵琶湖疎水及水力利用事業P.469)

(創作物での記述)

S18:「琵琶湖疎水物語」 眞下 五一

「朔郎は夢中になって今度は削岩機を操りスパナ―で捩子を回しはじめるのだった。・・・中略・・・旧式のスパナ―で捩子はなかなか自由に動かないのである。・・・・いきなり弾みを食って、外れた捩子と中盤との隙に挟まれた右手の中指が、瞬間ガン!と激しい打撲を受けたのだった。」P34~

S56:「左手の書 明治の神話 古代の神話」 村瀬 仁市

「だが氏は測量の際、測量機で右手を傷つけてしまったので、左手で卒論を書いた。文字はともかく、製図には全く苦心惨憺たるものがあった。」P.14

S57:「京都インクライン物語」 田村 喜子

「一瞬のできごとだった。足をすべらせたはずみに手もとが狂い、指を岩に打ちつけ、その上にハンマーを落としたのだ。」P.82

S62:「琵琶湖疏水―明治の大プレジェクト―」 織田 直文

「だがその叔父が、朔郎がいよいよ琵琶湖疏水をテーマとした卒業論文を手がける明治14年末に破産し、加えてこの頃、彼は現地調査中に右手を機械に打ちつけ骨膜を痛め、逆境の頂点をきわめる。」P.107

削岩機とは

石にノミ(田辺朔郎著「とんねる」の記載にしたがい以下「錐」と言います)を打ち付けると岩は砕けますが、表面しか割れないので、大きく掘削するためには、岩に穴を穿ち、爆薬を仕掛けるか、クサビを打ち込むかするそうです。

穴を穿つためには、錐を回転させながら何回も打ち付けるとの事で、錐と回転の様子は下図のようになります。

田辺朔郎著「とんねる」P.135 錐の形状
錐を回しながら歯の当たる方向を変えて穴を穿つ

削岩機というと工事現場でコンクリートなどを壊すときに使っている、先端に棒が出ていて激しく前後運動する機械を思い浮かべていましたが、あれはブレーカーで、本当の削岩機は、先端が回転しながら穴を穿つ動きをするものだそうです。
 英名はロックドリルで正に岩に穴を穿つ機械ですね。

田辺博士が「削岩機」で怪我をしたと述べており、これをどう解釈したかで創作物上の記載が変わってきます。
 削岩機が開発されるまでは一人が錐を持ち 打つたびに回しながら、もう一人がハンマーで打ち付けていたそうで、錐とハンマーの組み合わせを削岩機と呼称することはできそうな気がしますが、とんねるの専門家である博士が削岩機と表現した以上は本当の削岩機だったのでしょう。 

この時代は電気式やエンジン式の削岩機はまだ無く、蒸気機関により圧縮空気を送り込みピストン運動させるという非常に大掛かりな装置でした。
 長等山トンネルでも使用されていますが、作業員が不慣れでほとんど使わずよっぽど硬い所以外は使い慣れたノミとハンマーで作業したそうです。
 ただ、外部から圧縮空気を送り込んで使うため、坑内の換気の役にはたったとの事です。

削岩機本体 この他に圧搾空気を作り出す蒸気機関が必要
「とんねる」P.142
削岩機の国産化は大正5年の足尾式小型削岩機から
始まった。それまでは外国製の大型の物だった

こんな大掛かりな物を どこから調達したかと言うと京都府の疎水事業部門に他ならないと思います。
 そして、これを使って行う調査は地質調査以外ありえません。
 地質調査は地表に現れた地質と地層の傾斜方向から、地下の地質を予測していくものですが、削岩機で割る必要がある場面を想像すると、風化花崗岩の露頭があり、それが地下まで風化しているのかあるいは地下では堅密なのか、といった事を調べるといった事ではないでしょうか。

前のNOTEの続きになりますが、こういう事を考えても疏水事務所から借りた削岩機で大掛かりな調査をして、自分自身の卒論のためだけにその成果を利用したとは とても考えられないんですよね。


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