見出し画像

相場山は何処にある?

 京津間の物流を調べている中で、時々旗振り通信の事が出てきます。
 これは、大阪堂島の米相場を旗を振って伝達したもので、大体10㎞~27㎞ぐらいの間隔で旗振りを行い、お互い望遠鏡で確認しながら伝達したそうで、和歌山まで3分、京都まで4分で時速換算で720kmで通信できたそうです。

 各地に「相場山 そうばやま」「旗振り山」などと名の付く山があるのはその名残ということです。

 旗振り通信については、色々と解説したページがありますので、そちらに任せますが、このNOTEでは琵琶湖疏水工事の中で出てくる相場山について記載します。

旗振り通信 - Wikipedia

Bing 動画

江戸時代のトレーダーが構築した情報ネットワーク : 世界に先駆ける先物取引を支えた「旗振り通信」(前編) | nippon.com

幕末に相場で大もうけしたやり手のコメ屋・お蝶 : 世界に先駆ける先物取引を支えた「旗振り通信」(後編) | nippon.com

琵琶湖疏水の三角測量図を国土地理院地図に重ねたもの

 上図は、琵琶湖疏水建設における京都から琵琶湖までの三角測量図を現在の地図に重ねたものです。(小説の第2話で紹介した測量図です)
 ちなみに長等山トンネルの入り口と出口を合わせて重ねています。測量精度は現在のものとほとんど変わりませんので、ずれているとしたら私の重ね合わせの問題です(汗)

 ここには測点の記号だけで名前がありませんが、トンネル掘削にあたり、より詳細な測量を行っており、そこに「相場山」の名前が出てきます。
 これは、上の測量時の「猫山」と「丸山」を基線として三角測量を再度実施し、トンネルライン上に、藤尾村石点、西口側仮点、小関越石点、三井寺山石点、大津石点を設置したもので、西口・東口それぞれから直線上に2点を視準しながらトンネルを掘削できるよう石点をおいたものです。
 当時の日本最長トンネルを4倍更新する長大トンネルとなりますので、その測量には慎重に慎重を重ねて実施されています。 

国土地理院地図上に「琵琶湖疎水工事 隧道測量三角図」を転写
文字は一部清書しています。

さて、「相場山」は逢坂山トンネルと書かれた右肩の測点に記載されています。現在の地図で324.7mの標高表示があります。

 なぜ、この山を調べていたかというと、南一郎平が 明治15年3月に提出した琵琶湖水利意見書で、「古関越嶺の東 相場山に至る。山の東西より深谷山麓に迫り狭隘 馬の背のごとき所あり、果たして隧道自然の位置なり。之を略測せしに距離330間(600m)なり」との記載があり、それって何処?という事で調べているうちに、相場山やら堂島米相場やら旗振り通信の事がでてきて、絶賛調べ事の沼にはまっています。

 それはさておき、600mでトンネル抜けるって何処やねんと思いつつ、国土地理院地図の自分で作る色別標高図で着色をいじりまわします。

「小関越の東」との記載と若干合致しませんが、相場山に繋がる山塊の北端部から見て、谷が一番迫っているのが青点線の部分です。青点線が600mとなるように黄緑の着色を調整すると標高159mになりました。これは琵琶湖水面から74m上となります。

 南の意見書では、600mの隧道本線の前後に長さ33間(60m)の井戸間風(竪坑)を掘ると書いているのですが、湖水面ラインまで74m、水底まではあと2m掘らないといけません。
 第一シャフトの約50mでもあれだけ苦労したのに、この竪坑掘削って可能なんだろうか? それとも私の読み間違いですかね。

 標高図をいじくりまわしていて、旗振り通信を思い出し、相場山の性能を調べたくなり、下図を作成。

見える!見えるぞ!

 相場山頂上324.7mに対し、赤着色310m以上の山は周囲に全くありません。
 なんと好条件の山!
 ここから天王山まで約20km、多分そこが次の旗場です。

 そこから先、堂島までどう結ぶか、文献を見ながら地理院地図をこねくりまわしているのですが、どうも整合しなくて悩み中です。何かわかったらまた報告しまーす。


なお、この標高324.7mの山は現在「逢坂山」と呼ばれているようですが、逢坂山と相場山は本来別の山で、旧逢坂山トンネルのある山が本来の逢坂山だったようです。


いいなと思ったら応援しよう!