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相場山は此処にある


堂島~大津への旗振り通信

前の記事から続きます。

堂島~京都間の通信については、
堂島-千里山茨木阿武山柳谷西山-京都
であったようです。

古い文献だと「茨木阿武山」を「茨木栗武山」と記載しているものが多いですが、吹田市公式ウェブサイトの記載が正しいようです。
垂水・江坂地域|吹田市公式ウェブサイト

京阪旗振りネットワーク

各旗振り場の周辺状況を調べてみます。

千里山「三本松旗振り通信中継地跡」 当時の標高83mに対し70m以上を黄緑着色 見通し良好
「阿武山」 山頂280.9mに対し260m以上を茶色着色 見通し極めて良好
「柳谷西山」と思われる嶺 山頂478.2mに対し450m以上を茶色着色 北西以外の視界良好 現在も国交省の中継レーダーがある好適地

柳谷西山がここかどうかはっきりしないのですが、国交省レーダーも立っており、見通しも良く、ここで間違いないでしょう。
 ただ他のポイントに比べて街から遠すぎて大変なポイントです。
 ここからは京都市内のどこへでも通信可能です。

堂島から京都への通信は4分、1か所の通信は約1分で完了したそうで、堂島-千里山-茨木阿武山-柳谷西山-京都というルートはちょうど4回分で符合します。
 大津への通信時間は5分であと1か所追加となります。
堂島-千里山-茨木阿武山-柳谷西山-相場山-大津 となるはずです。

「相場山」 山頂324.7mに対し310m以上を赤着色 周囲に高い山無し

距離を計測すると下の図のとおり

交野市にも旗振山がありますので追加していますが、どのようなルートで使われたのか不明です。(摂津・播磨・河内で旗振り通信が禁止されていた時期に大和国十三峠からの迂回ルートで使われたのかも)
 天王山も使われたように書いている文献もありますが、西側の視通が利かないので、交野からの通信に使われたのかもしれません。

大体の距離です。 天王山は西側から見通し不可
交野から大津は距離が長すぎるため不可で ×印を記載

相場山から東方向

ちょっと相場山に登ってみます

山頂付近で木を切っている箇所があり、大津方向を撮影できました。
しかしながら5年もしたら木が茂って眺望が無くなりそうです。

大津米会所はちょっと木の陰になっていますが、当時は木が無かったかもしれませんね。距離的には余裕で通信できます。

彦根方面に向けて次の旗場が三上山の北側にあります。
距離は19kmぐらい。

光学40倍ズーム

手元のカメラの最大望遠で撮影、当時は20倍程度の望遠鏡だったらしいが、これ見えるかな・・・鉄塔の大きさからするとほとんど「点」にしか見えなかったのでしょう。
 ムムム・・・左に出てるか、右に出てるか分かればギリ分かるかも・・・

相場山から西方向

少し下がった所に大阪側の木が切り払われている場所がありました。
(ここも数年経つと眺望がなくなりそう)
少しもやがかかっていて見通しがきつい・・・

柳谷遠いのでは?天王山とか石清水八幡宮の方が良さそうな気がします
40倍ズーーム!
ちょっと分からないので画像を拡大(100倍ぐらいになってるかも)

レーダーの付いた右側の鉄塔が国交省の向谷レーダーですね。

東側は19kmに対しこちらは21km、2kmの差が意外と大きい。
私には正直見える気がしませんが、昔の人は目が良いから見えたのでしょうか。

先ほどの地図

先ほどの地図に戻ると、柳谷西山を使わず、
堂島ー千里山三本松ー交野旗振山ー石清水八幡宮ー相場山
のルートの方が合理的な気がします。

交野旗振山周辺 山頂321mに対し310m以上を茶色着色

交野の旗振山は大阪平野側に対して抜群の眺望で実に良さそうなんですけどね。一体どのようなルートで使われていたのでしょうか。

とりとめないですが、今回はここまでです。

余談

色別標高図を触っていると巨椋池の自己主張がすごいです。
干拓地なので標高が変わっていないのはあたりまえなんですけどね。
近鉄電車が湖岸すれすれを通っていたようで、当時はさぞかし絶景だったのでしょう。夕日とかすごそうですね。

余談2
南一郎平が 琵琶湖水利意見書で言っていた「古関越嶺の東 相場山に至る。山の東西より深谷山麓に迫り狭隘 馬の背のごとき所あり」というのは確かに山頂付近から東西を眺めるとそんな気がしますね。
「距離330間(600m)なり」というのは実際どうかな。

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